『不実な美女か貞淑な醜女か』感想:★★★★★
2014.10.04 Sat
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫) | ||||
|
1997年に新潮文庫入り、初出は徳間書店で1994年の作品ながら、今でも人気を誇る一冊。その前評判の通りにとても面白かった。
タイトルの「不実な美女か貞淑な醜女か」とは、翻訳文のこと。原文に忠実を誓えば日本語としては不自然な代物に、美しい日本語にしようとすれば少なくとも原文の一部に背くことになる。そのことを表した一文なのである。
当然ながら貞淑な美女が望ましいのは言うことは無い。けれども英語を含むヨーロッパ言語と日本語との距離は遠く、大抵の場合においてどうしようもない。
だがその「どうしようもない」事情なぞ通訳を頼む側にはどうでも良いこと。成らぬ事を成し、異なる言語を一致させる無理を通してこそ通訳。
そんな通訳の悲喜劇をユーモラスに、かつ通訳という仕事への愛情を込めて語ったのが本書。
他人の失敗はよく覚えているもの、と作者が言う通りに本書には色んな通訳者の色んな失敗や七転八倒、苦労話が登場する。
個人的に一番面白かったのは、フランス語通訳者の三浦信孝が行ったマンディアルグの通訳。
口語ならば逐次訳も可能だが、作家が書いた文章のように構文がしっかりしているものを逐次訳するのは難易度が高すぎる。だから前もって原稿が欲しいと通訳者は言うもの。
だがマンディアルグはくれなかった。そもそも原稿などは存在せず、しかも通訳が追いつくために時々立ち止まって欲しいとの願いも却下されてしまう。
結果、通訳者は一時間マンディアルグのスピーチを聞きながら必死にメモを取り、その後に日本語に訳したのだそうな。お疲れ様である。
また心を打たれたのは、終盤で語られた「誰にだって自分の言葉で話す権利がある」というくだりだ。
母国語よりも多国語の技能に劣るのは当然のこと。その劣る言葉で己の気持ちを述べることの、なんと困難なことか。
世界を支配する言語を操る人間は時として傲慢だ。他の言語を学んだことのない人間には、その苦労が分からない。だから、自分の言語を押しつけて平気なのだ。
だがどんなにマイナーな言語が母国語であろうとも、誰にだって母国語で自分の思うところを語る権利があり、そしてそれを可能にするのは言語間に橋を架ける通訳者という職業だ。そう筆者は胸を張る。
言語のパワーバランスはますます英語に偏っていく。だがそれでも、いつまでも通訳という仕事が存在する世界であって欲しいと、そう願う。
加えて、末尾に編集者によって書き加えられた注が非常に良い。誠実だ。
関連記事:
・『ロシア語のかたち《新版》』感想:★★★☆☆
・『わたしの外国語学習法』感想:★★★☆☆
・METライブビューイング2013-2014『鼻』感想:★★☆☆☆
・『シャーロック・ホームズの誤謬 「バスカヴィル家の犬」再考』感想:★★☆☆☆
・『鉱物(書物の王国・6)』感想:★★★☆☆