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『宮廷社会』感想:★★★★☆

2011.09.15 Thu
宮廷社会 (叢書・ウニベルシタス)
宮廷社会 (叢書・ウニベルシタス)ノルベルト・エリアス 波田 節夫

法政大学出版局 1981-01
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 これまた過去に書いた感想文をサルベージ。
 やたらと長い時間を掛けて読み終えた記憶のある『宮廷社会』は叢書・ウニベルシタスの中の1冊。著者はノルベルト・エリアス。
 エリアスならば『文明化の過程』の方が圧倒的に有名だが、私は未読。
 確か高校生の時に一部を英語の授業で読まされ、「一文がクソ長いとか見知らぬ単語だらけだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」な気分になったことをうっすらと覚えているような。日本語で読んでも理解出来ないに違いないものを何故英語で読まされているんだと心の底から謎だったっけなぁ。ああ、英語嫌いだ。


 この『宮廷社会』は1930年代前半にエリアスが書いた大学教授資格論文に序章と補遺を付け加えて1969年に出版した"Die höfische Gesellschaft.: Untersuchungen zur Soziologie des Königtums und der höfischen Aristokratie. Mit einer Einleitung: Soziologie und Geschichtswissenschaft "を翻訳したもの。英語版wikipediaによると英語翻訳版が出版されたのは1983年とあるので、日本語版の方が早く出たことになる。
 またしても英語版wikipediaのエリアスの項目によると、彼の代名詞である『文明化の過程』の原著"Über den Prozess der Zivilisation"は1939年に出版されている。つまり『宮廷社会』の執筆自体は『文明化の過程』に先駆けて行われたのであろう。


 以下、折りたたみ。






 以前『近世の文化と日常生活』の感想記事で、著者のファン・デュルメンは歴史の安易な「物語化」を許さないと書いたが、こちらのエリアスさんはさらに徹底的である。
 ファン・デュルメンはひたすら地味な仕事を積み重ねることによってそれを表現したが、エリアスは雄弁に語りかける方法を選んだ。
 歴史の「物語化」、すなわち歴史的に大きなことを成し遂げた人物が何故それを成し遂げたかについて「彼が偉大だから」の一言で済ますことを許さず、もう一歩踏み込んだその背景についてをも問題とする彼は、その重要性について頭の2章で延々と語ってくださる。しかも8章で復習までしてくれる徹底ぶり。

 エリアスの主張を端的に表しているのは以下の文章だろうか。
あるひとりの人間の価値は、その人間だけをかれの他人との関係とは無縁な、一個の孤立した存在として考察した場合に受ける印象を基準にして判断されるべきものではなく、人間集団のひとりとしてのかれに、他人との共同生活を通じて課せられる課題をその人間がいかにして克服するか、を考察することによってのみ正しく評価できるからである。(p.329)


 エリアスは個人の後ろに控え、彼を動かす操り糸となる社会情勢を「図柄(フイグラツイオーン)」と呼ぶ。人間は相互に関係して生きており、その絡み合い縺れ合いのあやとりの糸のようなものこそが社会、またその糸が描く絵こそが図柄であると彼は主張する。糸の先のプレイヤーは時間の経過と共に世代交代し、また敗者が勝者と入れ替わっていくが、それでも図柄はそのまま存在し続ける。
 しかしこの図柄は静的な性質のものではない。人間は操り人形であるが、それと同時に図柄に影響を与え、その絵を変える力をも持っている。図柄と個人は相互に反応し合うものなのである。
 しかるに、ある人物の偉業・愚行は彼個人の素質や才能のみに帰せられるものではなく、それと同時にその時代の図柄をも勘定に入れねばならぬ。


 もうずっと昔のことだがクローン羊のドリーのニュースが世間を賑わした時に、私のクラスメイトは言った。「もしも今私のクローンの赤ちゃんが生まれたら、それは『私』になるのだろうか」と。
 その問いかけに私は即座に否との答えを出していた。私が今の非常に残念な性格の私になったのは、私の日々の選択と周囲のミクロな環境と、そしてもっと大きいマクロの環境つまりは「図柄」の賜物である。だから今から生まれる私のクローンは、生まれた時代の異なる私とは違う個性を持つだろうと思ったのだ。
 その奥底には、私という個を定義するのはDNAではなく、嗜好であり思考だとの認識が潜む。これらの形成には「図柄」以外の変動しやすい要素を多数に含まれる。故に、恐らく同じ時期に生まれたクローンであろうとも、やはり彼女は私とは違う存在であろう。その彼女は単なる私の一卵性の双子の片割れでしかない。出自が自然か人工かの差が社会的に重要な意義を持とうが持つまいが、どちらにしろ私と彼女は別の個性を身につけることだろう。

 図柄は個人の形成に確かに影響力を持つが、それは絶対的ではない。讃えるべき偉業も恐るべき愚行も、その源は行動者個人が生まれ持った素質であり才能であり、そして時代の「図柄」でもあるのだ。そんなエリアスの主張は非常に妥当で、そして今となっては普通ですらある。


 ところで本書のタイトルは『宮廷社会』である。エリアスは上記の「図柄」の考え方を用いて、絶対王権下で花開いた主にフランスの宮廷社会を説明する。何故に宮廷社会が選ばれたかと言えば、それが現在のヨーロッパでも形を変えて生き続けているからだそうだ。非ヨーロッパ人の私には分からない世界である。



 本書は硬い話ばかりかと言えば、実はそんなことはない。難易度が高いのは冒頭の2章だけである。それ以降は著者の主張である「図柄」は裏方に回り、絶対王政時代の貴族生活の丹念な描写が展開される。
 貴族の住居から彼らの家庭生活がどんなものであったかが説明され、その家計をぶちまけられ、彼らが平民をどう思っていたかが語られていくのだ。
 例えば、貴族にとって使用人は「どうでもいい」存在であるからして、その眼前で平気で睦み合う。夫婦は同じ邸宅に住んではいるが、それぞれ別の棟に住んでおり、互いの顔を見る機会もあまりない。貴族にとって収入に支出を合わせるなんてことは無粋な話であり、支出に収入を合わせるのが当然で、そして当然しばしば破産した。……と、読んでいて面白い話には事欠かない。 

 本書では煌びやかな宮廷生活とその成り立ちが語られるが、当然最後には崩壊する。
 ルイ十四世がいかに図柄を再編して絶対王政を作り上げたか、そしてその図柄の硬直化がいかにルイ十六世を苦しめたか。何故にフランス革命はあのような形でしか成し遂げられなかったのか。
 図柄を操り操られ、そして人は出世し地位を失う。エリアスの雄弁な語りは非常に面白く、そして残酷でもある。
 なかなかに面白い1冊であった。


関連記事:
『近世の文化と日常生活』感想:★★★★★
『ヴェルサイユ宮殿に暮らす—優雅で悲惨な宮廷生活』感想:★★★★☆





 私の持っている『宮廷社会』の訳者あとがきによると、1997年9月の第五刷で巻末の「事項索引」を追加したのだそうな。「人名索引」に続いて、と書いてあるところからすると、初版には「人名索引」、「事項索引」共になかったのだろうか。

Theme:読書感想 | Genre:本・雑誌 |
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