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『オートラント綺譚』感想:★★★★★

2013.11.20 Wed


オートラント綺譚
オートラント綺譚ロベルト コトロネーオ Roberto Cotroneo

而立書房 2013-10
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 イタリアはオートラント。キリスト教徒の住まう彼の地は1480年8月12日トルコ人に侵略され、住民の多くが虐殺された。
 彼らはあらゆる物を破壊したが、しかし、教会の床に配されたモザイク画だけは傷つけなかった。
 だが時間は価値のあるものにも、ないものにも平等に襲い掛かる。全ては移り変わり、不変のものなどありはしない。モザイクもまた、徐々に時間に磨耗されていく。
 その絵が示す意図はもはや闇に消え、誰にも読み解けない。モザイクを構成する小さな破片たちは、静かに静かに劣化を続ける。かつての色も意味も、今は失われてしまった。

 だが時間は価値のあるものにも、ないものにも平等に襲い掛かる。全ては移り変わり、不変のものなどありはしない。
 ――本当だろうか? 本当に今や全て失われてしまったのか?
 違う、彼らは待っている。
 異教徒による侵略と暴力の記憶を刻み、キリスト教徒の苦難と彼らの命が流した血により特別の地となったオートラント。そこには当時の出来事が、今も変わらずに漂っている。
 彼らは待っているのだ。歴史の輪が閉じられるのを。そしてまた、変わらずに、そして新しく始まるのを。



 オランダ人である「私」は、長い時代を生き抜いてきたモザイクの修復のためにオートラントを訪れる。
 だが彼女にとってオートラントは、ただの仕事場ではなかった。それは唐突に海へと消えてしまった母親が「私」に残した唯一の縁、彼女の一族が辿った歴史を秘めた地であり、またそこは「私」の父親が決して見ることのなかった南国の光が差し込む場所でもあった。
 時間に磨耗させられたモザイクが秘める歴史、その絵自体が密やかに示す意味、小さな破片から成るモザイク自体が「私」を絡めとり、オートラントに、彼女をこの世に生み出した先祖たちの歩みをその頭に吹き込む。

 過去から現在へ、そしてその先へ。時間の経過はしかし、ここでは混乱している。
 最初に光があった。オランダの陰鬱な光とは違う強烈なオートラントのそれは、正午には悪魔を送り込む。
 「私」が日々修復するモザイクの小片は彼女の手の中で溶け、「私」が日々歩くオートラントは彼女に囁きかける影に満ちている。
 「私」がモザイクに意味を、オートラントに己の出自を見出そうとすればするほど、焦点はぼやけ全ては無に、あるいは有に広がり続ける。
 もはや時間は無意味だ。全ては偶然、最初に光を生み出したもうた神が振るサイコロの目に過ぎない。だがそれは、覆い返すことの出来ない偶然なのである。

 この男が私に何を言わんとしてたのかが、分かりだした。それとともに、怖くもなっていた。自分の生命が宙ぶらりん以上であり、偶然や不確定なものの暴力以上なのだということを感じつつあった。(p.144)


いいですか、現代世界では偶然は神の介在と両立しないかに見えます。でも、古代人や中世人にはそうではなかったのです。彼らにとっては、偶然は聖なるもののあらゆる徴表を持っていました。つまり、それは人智美の暴力を発揮できるのと同じように、彼らに恩恵を施すこともできる、というのです。(p.144)








そうでなくて、たぶん儂はあの奇妙な病から治ったのかもしれん。万事に回答があるものといつも信じている者に、よく襲うあの病気からね(p.137)



 私は説明をするのが好きだ。理解するのが好きだ。私の世界に神は必要ではなく、ただ化学式だけがあれば良い。
 とは言えど、私は生き物であるからして、己の感情やら思考やらは時として本人にすら説明も理解も出来ないことがある。

 だが感情やら思考やらは化学式のように記述できるものでもないからして、強引に理論に屈服させることは可能だった。無理を押し通した証拠など、どこにも残りはしない。
 けれどもその行為はフェアではないし、そもそも私は生物なので金属の如く成型されると破綻が出る。その破綻をないものとして無視するのも、破綻を修復しようと躍起になるのにも、ある時唐突に疲れた。
 あるものは仕方がないではないか。そう諦めるのには勇気が必要だった。それが存在することを認めるのが怖かった。

 それは怪我をした時に似ていた。腕に走った衝撃に、最初は自分がどれほどの傷を負ったのかと想像して恐れる。実際にその傷口を見るのには、覚悟が要る。だが直視しなくては始まらないのだ。想像に怯えていても、事態は進展しない。
 そう腹を括って見つめた矛盾は、別段怖い顔をしてはいなかった。確かにそれは存在したが、それは以前からもそこにあったのだ。実際のところ、何も変わってなどいないのだ。
 恐怖は去った。一度見てしまえば、今度は好奇心がわいた。強烈に忌避してきただけに、罪悪感が芽生えた。愛着も。
 ずっと傍にありながらも目をそらしてきた矛盾を、私は抹殺することも修復することもなく、ただ漫然と見つめるようになった。
 それはまるで、庭に生えた珍しい雑草を引き抜かずに放置するかのように。結果として、それは根を広げ立派になった。おそらく、もう抜けやしないのだ。



 何かを観察することは、観察されることでもある。視線は対象を通して、己に帰ってくる。その時、見るものと見られるものの境界は溶けて消える。
 己の破綻を見つめてきた私は、いつからか区分が付けられなくなった。どこからが私の信じる理論で、どこからが矛盾なのか。どこまでを私は私と見做して来たのか。私の領分はどこまでなのか。

 知ろうとすればするほど、拡散していくこの感覚。それが『オートラント綺譚』のラストで待ち構えている。
 もはや知る前に戻ることは出来ない。だが答えを掴むことも出来ない。あるのは確固たる回答などないのだという事実と、己の出自即ち過去も、現在も、そして未来も等しく繋がり混沌としているという真実だけだ。
 まるで南中した太陽に真上から目を射られたかのように、周囲は見えない。影も光も、ここでは等価だ。そして正午の太陽の光の下で、悪魔たちが姿を現すのだ。


 悪魔たちが姿を現わす決心をする、あの正午の時間をもう知っていた、と言っておこう。日光が火花の雨みたいに天頂から振り注ぎ、空のまわりが一面に青で満たされる――そんなことはオートラントでしか見られない――とき、よそなら空が色褪せて見えるものなのだ。(p.5)




テーマ別:イタリア|出版社別:而立書房
より詳しくは右カラムのカテゴリから選択してください。


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 と、かなり気に入った一冊なのだけれど、校正が甘い上に後半に行くにつれて段々と気になる箇所が出てくるのが残念。
 イタリアやロシアでは評判になったらしいけれど、日本ではちょっと無理かもなぁ……と勝手に心配してしまっったり。

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