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『近代劇全集 29 露西亜篇』感想:★★★★★

2013.05.02 Thu




 図書館本。例によって書影が見つからない。
 ここ一ヶ月はこの手の、書影の見つからない本が多くなると思われます。ソログープの翻訳作品を探す旅に出ましたので……。

 ただこうやって書庫の奥から発掘する本が意外と面白くて、眠らせておくには勿体ないなぁと。
 大正から昭和初期あたりの日本の世相を反映して、この時代に産み出された本はどれも成長期といった面持ちで若々しく、そして何故か著者の欄に翻訳者の名前が書かれていたりと稚拙さも見られて、微笑ましい。いや笑えないのもあるけどさ。

 いつか今生まれた本も書庫の深くに追いやられる日が来るのだろうが、それを取り上げる未来の人は何を思うのやら。


 この露西亜篇に収録されている「近代劇」は5作品。翻訳は昇曙夢による。
・「人の一生」 レオニード・アンドレーエフ
・「我等が生活の日」 レオニード・アンドレーエフ
・「毆られる彼奴」 レオニード・アンドレーエフ
・「死の勝利」 フヨードル・ソログーブ
・「森の祕密」(別の題「畫家の夢」) エウゲニイ・チリコフ








 人は生まれて、恋をして、そして死んでいく。それはまるで一瞬の夢。
 どうせ死ぬのならば、どうして人は生まれるのか。どうして恋などするのか。どうして笑うのか。どうして泣くのか。
 全ては死へと帰るのに。

虚無の夜の中に、何物の手に點けられたか判らない一本の灯が輝き始める――それが人間の一生なのだ。その焔をよく見るがいい――それが人間の一生なのだ。(p.19, 「人の一生」)


 アンドレーエフの「人の一生」は、ある「人」(彼には名前もない、ただの「人」である。それは普遍でもありまた個人でもある)の誕生から幕を開ける。
 「人」の誕生を見守るのは、泣き女の如き何人もの老婆たち。彼女たちは口々に言う。生まれるよ。いやこれは死産だね。
 そんな老婆の群れの前に現れたのは、「灰色の人」。彼の手には輝く蝋燭が。そうだ「人」は生まれたのだ。
 
そしてその盲目的な無知の中で豫感に悩まされ、希望と恐怖に心を亂されながら、彼は鐵の如き運命の環を従順に一巡するであらう。(p.19, 「人の一生」)


 常に「人」の側に寄りそう「灰色の人」の捧げ持つ持つ蝋燭こそは、「人」の生命そのもの。若い頃には真っ白で長いそれは、年を経るに従って、徐々に短く短く、彼の生は溶け去っていく。
 そんなこととは知らぬ、或いは予感してはいるのかもしれない、「人」は両親を亡くし、己の才覚では食っていけずに若い妻と共に貧困に喘ぎ、そして一転して成功を手に入れる。
 だがそれも永遠には続かない。
 彼の栄誉は零れ落ち、そして彼の可愛い子供すらも、また。
 蝋は溶け続ける。決して止まりはしない。
 そして「何物の手に點けられたか判らない」灯は。

――お前さんはもうぢき死ぬんだよ。だが覺えてゐるかい?
――お前さんは覺えてゐるかい?
――お前さんは覺えてゐるかい?
(p.128, 「人の一生」)


 老婆の群が「人」を取り巻いている。その中心たる彼は、もう。こうして運命の環は一巡して閉じたのだった。


 命の象徴たる蝋燭を持つ何物か、なんてモチーフはもはや食傷の閾にまで達しているが、そういえばこれの初出はどこなんだろう?
 そんなありがちな主題を用いてはいるが、「人の一生」は面白い。最初と最後の場面が対になっているのもありがちなのだが、その両方に登場する何物か判然としない老婆の群れがなんともロシア的で、印象に残る。
 彼女たちは問う。「お前さんは覺えてゐるかい?
 それは一体、「何を」問うているのだろう。



 次の「我等が生活の日」は一転して、死の影は姿を見せない。
 そこにあるのは、大学生ニコライ(コーリャ)と、そのお相手オリガの恋と、そしてその変節だけである。
 静かな家庭への下宿を求めているものの、いつも騒ぎを起こして速攻追い払われるコーリャの友人オヌーフリイ(オヌーシャ)の嘆き。
 オリガの「仕事」を知って動揺するものの、彼女への愛情を断ち切れず、その癖、彼女のありのままを受け入れきることの出来ないコーリャの煮えきれなさ。

 矛盾を孕んだそれらは実に滑稽であり、白黒を簡単に判断出来ずに曖昧な状態から抜け出せない様は実に人間的でもある。
 彼らの滑稽さは、オリガの部屋でのラストシーンで最高潮に達し、そしておそらくはその後も続いていくのだ。それこそが、「我等が生活の日」!

戀って一體どんなものでせうね、僕に一つ説明してくれませんか。もとは何もなかつたんでせう。ところが、それが不意に現はれてからは、何となく心に翼でも生えたやうに、濶々と、晴れやかな明るい自由な氣持ちになつたのですから(p.140, 「我等が生活の日」)

戀なんていうふものは無いよ、コーリャ君、單に性の衝動さ、君、その他は小説なんだ。(p.190, 「我等が生活の日」)



 一転して「毆られる彼奴」は、決断をする。

人間の心を戀で征服するのは――神だらうか、それとも惡魔だろうか。私の場合は惡魔に違ひない。(p.298, 「毆られる彼奴」)


 あるサーカス一座の楽屋に現れたのは、明らかに貴族階級の男だった。だが彼は自分の身分も、それどころか名前すらも明らかにすることを拒み、ただ道化として雇って欲しいと言うのだった。
 お前に何が出来るのかと問われた彼は、一つ思い付いた。それは「殴られる」ことであった。名前すらをも捨てた彼は、新たに「彼奴」と名乗り、他人に殴られては喝采を浴びるようになる。

 一方、サーカス団にはコンスエラとの芸名を持つ美しい馬乗りがいた。彼女はマンチニイ伯爵と名乗る男の娘、つまりは伯爵令嬢のはずなのだが、窮乏のためにここで芸を売っているのであった。
 だがその苦しい生活にも終焉が見えていた。レニャール男爵が彼女に熱を上げたのだ。
 彼はコンスエラを妻にと望み、コンスエラは内心彼を嫌ってはいたが、父の勧めのままに彼との結婚を決める。

 そして迎えたコンスエラの引退公演で、事件は起こる。
 「彼奴」は彼女のために、そして何よりも自分のために、決断を下したのだった。


 実際のところ、コンスエラにとってはどちらの方が幸福だったのだろうか。要らないお世話の極みのようにも、また真実その方が幸せのようにも思える。男爵の反応を見るに、意外と満足に暮らせた予感もすることだし。
 それにしてもこの幕引きだと、「彼奴」を「彼奴」にさせた彼が喜びそうで、その点が少し引っ掛かる。



 恋のために、美のために命を賭ける「彼奴」の次は、ソログープの「死の勝利」。
 もう何度も感想を書いているので省略するが、アンドレーエフの現実に近い作品の後に読むと、その寓話性が鮮やかだ。

愛は死によって勝利を得た、――愛とは死とは――一つだ。(p.463, 「死の勝利」)


 愛と美が死によってしか得られないのならば、それは不自然であり、本来は存在し得ないのかもしれない。「我等が生活の日」のような未決断こそが本来なのかもしれない。
 いや、生こそが不自然なのであれば、全ては反転し、死こそが、つまりは愛と美こそが自然なのか。



 ラストの「森の祕密」は、「死の勝利」以上に寓話性が高く、同時にあまりにも現実的な寓意を含んでおり、つまり何が言いたいかと言うと、私は嫌いだという話。


 以上、アンドレーエフが大半を占める『近代劇全集 29 露西亜篇』でした。
 ちなみに露西亜篇はこの29巻だけではなく、27巻から34巻までの丸々8巻がロシアに宛てられております。


ジャンル別:戯曲・シナリオ|出版社別:第一書房
より詳しくは右カラムのカテゴリから選択してください。


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 書庫から発掘してきたこの本、装丁が素敵だった。
 昭和四年に発行されたものとは思えないほどの、しっかり具合。





 今でも渋い色味で素敵だが、新品の頃はもっと綺麗だったんだろうなぁ。
 それに最近はやらない傾向にあるけれど、昔はどこの図書館も表紙カバーを剥ぎ取って本体のみの状態にしていたから、これも本当はカバーがあったのかもしれない。

 ただ、この本、二箇所ほど断裁をミスっていて、ページの上部が引っ付いたままになっていた。

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