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『MORSE―モールス』感想:★★☆☆☆

2011.07.30 Sat
MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)
MORSE〈上〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)ヨン・アイヴィデ リンドクヴィスト John Ajvide Lindqvist

早川書房 2009-12-30
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 8月5日に全国ロードショー(公式サイトはコチラ)とのことなので、今更ながらの読書感想文。
 ちなみに今年公開されるハリウッドのはリメイクであり、最初に本書を映画化したのはイタリア。こちらも去年、日本で公開されていた。公式サイトはコチラ
 既にこちらは『ぼくのエリ 200歳の少女』のタイトルでDVDが販売されております。


 ある日、いじめられっ子の少年オスカルが住むマンションの隣に美しい少女エリが引っ越して来た。
 エリのしゃべり方は古風だし、ルービックキューブも知らないと言う。それにとても不潔だ。どう考えても普通じゃない。
 そうオスカルは思うものの、彼女と出会ったことで勇気を得る。彼女に見せても恥ずかしくない生活を手に入れたいと願うようになったのだ。
 時を同じくして、恐るべき犯罪が新聞を賑わした。
 オスカルの住むブラックベリからそう遠くない場所で、少年が殺されたのだ。それも奇妙な方法で。再度の犯行が囁かれる中、実際に犯人は次なる犯行を企て、そして……。


 と言うのが本書の簡単なあらすじ。
 そもそもとして、貴方は吸血鬼物が好きですか? 私は大好きです。吸血鬼に限らず、「人間の形をした人間ではないモノ」が好きだ。
 何せ彼らは常識からの逸脱が許されているのだもの。どれだけ普通の人間から離れていても問題視されることはない。だって「人間じゃない」んだもの。違うのは当然だ。
 普段から他者と己の認識の違いに戦慄しがちな私としては、そんな許された彼らが羨ましくて仕方がない。私が世間の「普通」と違うのに理由はない。けれど、吸血鬼が世間の「普通」と違うのは当然だ。
 しかし、そんな「人間の形をした人間ではないモノ」である吸血鬼ではあるが、彼らは生きていくために生き血を必要とする。つまり人間の常識から解き放たれている筈の彼らは、人間の近くで生活する必要があり、そのために人間の振りをしなくてはならないのだ。
 そして場合の多くにおいて、彼らは元人間でもある。人間であった頃の記憶を有し、その昔を懐かしく思い返したりもする。

 人間から逸脱した存在でありながら、人間の振りをして暮らし、人間生活を懐かしく愛おしく思う。そんな矛盾を抱えた吸血鬼というファンタジーがとても私は好きだ。
 が、やっぱり個人的には吸血鬼には人間から抜け出した「人間の形をした人間ではないモノ」として超然としていて頂きた。い。吸血鬼と化したその日の姿のまま永遠を生きる彼らに、年齢を重ねたが故の「何か」を期待したい。それは若さを喪失しながら生きる私という一個の人間に希望を与えてくれるものだから。
 化け物でありながらある意味で人間でもあり、若くありながらも年寄りであり、死者でありながら生き物である。その解決されない矛盾こそが私の吸血鬼への傾倒の理由だ。
 もう既にお気づきのことと思うが、私はこの作品が気に入らない。なので以下は覚悟してどうぞ。ネタバレも全開です。





「きみが愛してくれるのは、わたしが生き延びる手伝いをするからだ」
「そうだよ。愛ってそういうものじゃない?」
(上巻p.85)


 「美しく謎めいた少女」のフレーズだけで予想される通りに、エリこそは吸血鬼であり、彼女の父親(という設定になっているだけで実際は単なる協力者)のホーカンが恐るべき殺人鬼であります。
 先述のあらすじには書けなかったが、この物語、登場人物が矢鱈に多い。
 オスカルを虐めるいじめっ子3人に、同級生。オスカルの隣人のやや年上の少年トンミにその友人2人。トンミの母親イヴォンヌに、その恋人の警官スタファン。オスカルと同じマンションに暮らすアルコール依存症気味の中年男ラッケ、その恋人ヴィルギニア、さらにアル中仲間のモルガン、ラリー、ヨッケ、イェースタ。イェースタは猫狂いで、彼の住む部屋は猫屋敷と化しており云々……と、本当に物語を構成するパーツが多いこと多いこと。

 ただ、この数多あるパーツはそれぞれに関連性があり、また必然性がある。最初は「登場人物多すぎ、しかもスウェーデン人の名前なんて馴染みがなさすぎて覚えられない」とブーたれていた私も、パーツの関連性・必然性が明らかになるにつれて楽しくなってくる。「このパーツはどこに入るのか?」とワクワクする。
 そして私はここで期待し始めた。このパーツ1つ1つは小川のような物で、最後は全部が合流し大きなうねりになるのだろう、と。
 実際は……、えぇっと、「期待して川沿いに走り続けた結果、気がついたら海に出ちゃってました。つまり川終わってました」みたいな。
 まぁ私が勝手に期待したのが悪いと言えばそれまでなのだが、でも数えるのも嫌になる程のパーツそれぞれを組み合わせるなんて凄腕を作者に見ただけに、こんな「気がついたら海でした」的な全体図になっちゃったのか残念でならない。


 全体の構成以前にも、この物語のコンセプト自体がよく分からないのも辛い。
 オスカルとエリが出会うくだりから私はてっきりボーイ・ミーツ・ガールな少年の成長物語かと期待し、そして「吸血鬼物」とオスカルのオカルト的な趣味から『ダレン・シャン』を想像(まぁオスカルは吸血鬼じゃないけど)してしまったせいで、どうしても二人を比べてしまう。ダレンは自業自得とは言え自分自身で選択を下し、歯を食いしばって大きな代償を支払ったが、オスカルは一体何を選択し、何を支払ったのだろうか?
 彼はラストのプールの場面においてすら、何一つ自分で選択していない。彼は己の犯した罪と対面もしていなければ、当然償ってもいない。その罪の結果としてプールの場面が来るはずなのに、これではオスカルに復讐を企てるいじめっ子とその兄貴が報われず(どう見てもやりすぎではあるが)、しかもその窮地からオスカルは超越者たるエリの手によって救われるのだ。ついでに言うと、エリはオスカルとその敵対者の対立の理由を理解していない。
 自分の行いのせいで窮地に立たされたにも関わらず、何を償うことも理解することもなく超越者に救われるオスカル。この構図に何を思えというのか。選ばれし男オスカル、ってことなのか。納得出来るわけがない。

 対してエリ。オスカルに成長物語を期待したように、エリには吸血鬼物語を期待した。
 子供吸血鬼の設定は好きだ。経験に裏打ちされた知性と若さの両立しない2つを兼ね併せる、矛盾に満ちた存在だからだ。子供はモンスターだとはよく言うが、子供吸血鬼は正真正銘のモンスターである。
 ここで私が連想したのは『屍鬼』の沙子である。永遠の子供である彼女は、子供(=自分)を保護してくれる家族を求め、そして家族の拡大形である「吸血鬼である私を排除しない」社会を夢見る。そこにあるのは拭いきれない人間臭さと子供っぽさではあるが、しかし彼女には確固たる信念がある。そしてその信念に見合うだけのカリスマ性と実行力がある。
 比べてエリはどうなのかと言うと、どうなのよコレ。彼女は何が欲しいのさ? それが明らかになるのだと信じて読んでいたのに、私には結局分からないままだ。
 長い生を生き続けて来た以上、また、これからも生きていくのなら、信念がないとやってられないと思うのだが。その点エリのふわふわさ加減は映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』で私を苛立たせたルイを思い出させたが、彼は彼で「吸血鬼とは何か」との一つの問題に拘泥していた。それが彼の生きる理由でもあったのだろう。それになにより、ルイには人間の協力者などいなかったのだ。煮え切らないにせよ、ルイはルイとして少なくとも「吸血鬼」である自分を認識し、人間と距離を置いているのだ。
 吸血鬼としての確固たる信念もなく、協力者ホーカンを使役し、オスカルに己の可哀相な過去を見せるエリ。吸血鬼に人間から抜け出した「人間の形をした人間ではないモノ」として超然さを要求する私の趣味には合わない。
 それに単純に捕食者としてすら、エリがお粗末なのはあり得ない。今までどうやって生きて来たのだろうか。吸血鬼が増えることを嫌っているくせに、感染防止に何度も失敗するのはどういうことなんだ。今まで完全に人間の協力者頼みだったってことか?
 下巻で明らかになるエリの正体も必要性が分からない。同性愛は吸血鬼物のお約束とは言え、今回はあくまでボーイ・ミーツ・ガールであって欲しかった。
 
 さらに文句を書き連ねて恐縮だが、作中でなされる「吸血鬼とはどんな生物なのか」の説明も気にくわない。
 今作の定義によると、吸血鬼に感染した犠牲者には「吸血鬼の本能」的な物が心臓に寄生する(心臓に一種の脳が出来る)仕組みだ。犠牲者はいわば宿主であり、宿主が死亡した場合その寄生者に全てを乗っ取られる。死亡しなくとも、寄生者の意志に引き摺られるようになる。
 いつか『奇跡体験! アンビリーバボー』か何かで「心臓には記憶細胞があり、心臓移植を受けたドナーは元の心臓の持ち主の記憶を得る」とか聞いた気がするが、もしやそれが元ネタなのか。と、とりあえず、そんな風味付けは嫌だ。『ブラックロッド』シリーズの「吸血鬼は心臓が全てだよ」や、『屍鬼』の「この変質した血が力の源だ」説のが好みだ。
 まぁ、そもそもの問題として、ファンタジーでしかない吸血鬼の生物性を真面目に説明すること自体が結構リスキーだとも思うのだけど。『屍鬼』はよくやったもんだ。


 結果として文句ばかりを書いてしまったが、本作が駄作かと訊かれると微妙なところだ。
 多すぎると思われた登場人物たちをおのおの捌いてそれぞれを組み合わせる手腕は見事であるし、スウェーデンの歴史背景を含む物語はなかなかに目新しくて魅力的だ。
 吸血鬼に関しても「吸血鬼は招かれないと家の中に入れない」なんて無視されがちなお決まりをキッチリ守っていたり、見た目は子供・中身は大人なエリが純然たる子供であるオスカルに惹かれる姿に、エリが本当の子供になってしまうのではないかと不安を抱くホーカンの描写などには新規性を感じる。吸血鬼が猫に嫌われる元ネタだけはさっぱり分からないが。
 要するに、選ばれし男状態になっているオスカルと、私可哀想を貫いているとしか思えないエリが許せるか許せないかがポイントなのかもしれない。私には無理だ。

 あと邦訳タイトルがださいのは何とかならなかったのか。モールスってモールス信号から来てるんだよね? そんなタイトルになるほど、モールス信号重要じゃないし。
 あとがきによると、原作は"Låt den rätte komma in"、英語版では"Let the Right One In"で意味は「正しき者を入れたもう」だそうな。入れると言えば「吸血鬼は招かれないと家の中に入れない」という決まりを連想するが、これが指しているのがラストのプールの場面ならば、もう本格的に私がこの作者と趣味が合わないのは確定だ。
 ついでに言うと、表紙も何とかならなかったのだろうか……。

「愛してるよ」
「嘘だ」
「愛してるよ。ある意味では」
「そんな愛などあるものか。愛しているかいないかだ」
「ほんと?」
「そうとも」
「だったら、よく考えてみなくちゃ」
(上巻p.102)


MORSE〈下〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)
MORSE〈下〉―モールス (ハヤカワ文庫NV)ヨン・アイヴィデ リンドクヴィスト John Ajvide Lindqvist

早川書房 2009-12
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テーマ別:吸血鬼
その他は右カラムのカテゴリから選択してください。





 ルイを擁護する日が来ようとは、思ってもいなかったぞ。
 映画を観てルイに辟易としすぎたせいで、買った原作本が一向に読み進められない。この厚みの分だけルイの愚痴を読まされるのかと思うと、思うと……。お腹いっぱいすぎる。
 レスタトのお気持ちお察し致します。でもアンタのせいじゃんよ。

 あとどうでも良いけど、最近私のiPhone3GSが充電の度に発熱する。カイロくらいの温かみ。
 前からこうだったっけ? 何だか記憶が曖昧なんだけど。
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