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「アルキメデスの鏡」考・その1:紀元前から17世紀まで

2013.02.17 Sun


 「アルキメデスの鏡」とは御存知、第二次ポエニ戦争中、ローマ艦隊による包囲に三年間も持ちこたえたシュラクサイ(シラクサとも、イタリア)において天才アルキメデスが発明し、圧倒的な兵力差を誇るローマ艦隊を退け続けた伝説的兵器の一つにして、最も有名なものだ。



 しかしながら、彼が産み出したとされる弾道機や着発弾装置、巻揚機などに関する記述が初期から存在するのに対し、この光学兵器に関しての記述がようやくその片鱗を見せるのは紀元も2世紀になってからのこと。
 アルキメデスがシュラクサイを制圧したローマの一兵卒に殺された紀元前212年に対して、なんと時間が経ってからのことか。
 この時間差によってバルトルシャイティスは、日本で編まれた著作集の第4巻『鏡 科学的伝説についての試論、暗示・SF・まやかし』において、アルキメデスの鏡が後からでっち上げられた架空の存在に過ぎないとみなす。

 だが証拠の不在がイコールその出来事の否定にはならないとロバート・テンプルは言う。
 古の書物の多くがその大部分を失い、現存するのが僅かである以上、失われた部分に記述があった可能性は排除出来ないと彼は主張するのだ。
 バルトルシャイティスが『鏡』のⅣ章でアルキメデスの鏡伝説の発展を実に見事に描き出している以上、少なくともアルキメデスの鏡に関してのテンプルの言い分は分が悪い。

 だがそれでもテンプルの言い分にも一理あると思われるので、ここでは白黒はっきり付けず、と言うよりも付けられないのだが、ただ時系列にアルキメデスの鏡に関する記述を並べてみたいと思う。
 見出し、人名以外の太字は引用部分を、太字に加えて下線を施した部分は引用の引用部分を示している。

 参照は既に名前の挙がった『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡 科学的伝説についての試論、啓示・SF・まやかし』(ユルギス・バルトルシャイティス著、谷川渥訳、国書刊行会、1994年)、『超古代クリスタル・ミステリー すべての文明の起源は失われた「光の科学」にあった』(ロバート・テンプル著、林和彦訳、徳間書店、2001年)、さらに『鏡の歴史』(マーク・ペンダーグラスト著、樋口幸子訳、河出書房新社、2007年)の3冊。

鏡 バルトルシャイティス著作集(4) 超古代クリスタル・ミステリー―すべての文明の起源は失われた「光の科学」にあった 鏡の歴史









前提

 まずは前提として、アルキメデスは鏡の反射や屈折を研究しており、それらに関する本を書いていることが分かっている。
 ただし現在ではもう実物は失われてしまっており、読むことは出来ない。アルキメデスの著作は後世の書に彼の著作からの引用が見られ、そこからかつて存在していたことが窺い知れるだけである。

 再度記述しておくが、アルキメデスの死は前212年であり、それはシュラクサイの陥落によってもたらされたものとされている。
 またシュラクサイはアルキメデスの才により、ローマ艦隊の攻撃に3年間絶え続けたと言う。
 ローマ艦隊を燃やし尽くしたとされる鏡の登場がいつかは判然とはしないが、それはシュラクサイが攻撃に晒されながらも持ちこたえていた前215年から212年の間であるはずだ。

 この前提の元、「アルキメデスの鏡」に関する記述を時系列で見ることにする。
 なお、この光学兵器の名称は様々在るが、ここでは「アルキメデスの鏡」で統一する。


1) 紀元前から3世紀

ポリュビオス(紀元前204年頃から紀元前125年頃、ポエニ戦争など当時の記録を残す)には、アルキメデスの鏡に関する記述なし。
ティトゥス=リウィウス(前59年から17年)同上
プルタルコス(45年頃から125年頃)同上
 紀元を越えても、未だにアルキメデスの鏡は姿を現さない。
 ただしリウィウス、プルタルコス両名のシュラクサイ包囲に関する記述は、ポリュビオスからの借用に過ぎないともされる。
 そのためポリュビオスが書かなかったことが、彼ら両名によっても記されていないのは当然と見ることも出来る。

サモサテのルキアノス(120年頃から190年頃)
 『ヒッピウス』にて「アルキメデスは独特の工夫によってローマ艦隊を焼き尽くした」との記述(※1)。また「巧妙な技を用いた」とも(※2)。
 具体的な記述を全く欠いてはいるが、既にシュラクサイにおいてアルキメデスがローマ艦隊を焼いたとの伝説が初めて見られる。

ガノレス(130年頃から200年頃)
 『体質論』にて「集光鏡を用いれば(略)乾いて軽いものならなんでも火をつけることができる(略)私の思うところでは、こういうやり方でアルキメデスは敵の船団を燃やした」との記述(※3)。
 「私の思うところでは」でしかないが、アルキメデスが火によってローマ艦隊を焼いたとの伝説に加え、鏡がこの伝説に関連付けられる。

カッシウス・ディオ(155年?から230年頃)
 後世の学者ヨハネス・ゾナラス(11世紀後半から12世紀中頃)の著による15世紀に出版された「ディオの著作の概要」内で、ディオがアルキメデスの鏡に関して何らかの記述をしているとされる(※4)が、詳細不明。


※1:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、142ページ
※2:『超古代クリスタル・ミステリー』、徳間書店、201ページ
※3:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、143ページ
※4:『超古代クリスタル・ミステリー』、徳間書店、201ページ



2) トラレスのアンテミオス

トラレスのアンテミオス(474年から534年、コンスタンティノープルの聖ソフィア聖堂の再建者)
 『機械的な矛盾について』にて、「アルキメデスが敵の艦隊を焼いたという伝説は誰もが認めており、その功績は否定できないものである」として、アルキメデスが行ったとされる「矢が届く距離より離れた特定の位置で、太陽光線によって燃焼を引き起こす」方法についての研究を行った旨が記述される(※5,6)。
 アルキメデスの鏡は弓が届く距離よりも離れた位置から艦隊を焼く(艦隊が他のアルキメデスの発明品により粉砕されているのか否かは不明)、との伝説が付け加わっている。

 さらに『機械的な矛盾について』にて、「いわゆる点火鏡の構造について記している人びとによれば、求めるべき実験は不可能である。どこで大火災を起こすにしても、鏡は常に太陽の方向に合わせなければならない。もしその位置が太陽光線の方角ではなく、片側に寄っていたり背後にあったりすれば、点火鏡による実験は不可能となる。さらに、燃焼点までの距離を考えると、古代人の説明を鵜呑みにすれば、とても現実的ではない巨大な点火鏡が必要となる。前述の説明では、ここに記された実験は決して妥当なものではない」(※7)として、古代人の言うアルキメデスの鏡を却下する。

 ここで興味深いのは、「いわゆる点火鏡の構造について記している人びとによれば」「古代人の説明を鵜呑みにすれば」との文句である。
 これは当時既にアルキメデスの鏡が「古代人」から綿々と伝えられており、さらにはその構造について記している人物が複数存在することを示している。
(ただし引用部分だけでは「いわゆる点火鏡」がアルキメデスの鏡ではなく、単なる点火鏡を指すととることも可能である)
 また、「とても現実的ではない巨大な点火鏡が必要となる」との記述から、当時はアルキメデスの鏡が点火鏡(集光鏡とも)、つまりは曲面鏡とされていたことを窺い知ることが出来る。
 これはガノレスと同じ思考であるが、当時既に曲面を持つ鏡またはレンズにより太陽光を集めて火を点けられることが一般的に知られていた以上、当然の発想なのかもしれない。

 一旦は古代人の言うアルキメデスの鏡を却下したものの、その実存を信じるアンテミオスは、この「古代人の説明」と当時の「点火鏡の構造の記述」の両者の矛盾を解消するために、「われわれは可能なかぎりの智恵を絞」り、「いくつかの条件が整えば、目的を達成する装置が可能であるとの結論に至」る(※7)。
 「つまり、太陽光線に対する位置や方角がどこにあろうとガンマ点が存在するかぎり、鏡によって同一の点に向かって反射できることを証明したのである。鏡を用いた燃焼は光線を一点に絞らなければならないため、熱が最大限に集中したときに燃焼するのが自然である。
 同様に、もしどこかに炎があれば、その周囲の空気もほぼ同程度に熱せられる。逆に、すべての光線を中心点に導けば、炎が発生する。
 したがって前述の距離だけはなれた点に光線を導かねばならず、なめらかで平坦な鏡から反射した光線が一点に集中するように配置すれば点火する。この結果を得るためには、一定位置にいる数名の人物がガンマ点に鏡を向けなければならない。
 多数の人物――燃焼には少なくとも二十四の反射鏡が必要とわかった――の助力を避けるために、われわれは次のような手法を考案した」(※8)とし、アルキメデスが引き起こしたとされる現象は大きな一枚鏡では不可能だが複数の平面鏡ならば可能、更にはその枚数は二十四枚が最低必要だと結論づけた。
 また「燃焼には少なくとも二十四の反射鏡が必要とわかった」との記述から、アンテミオスが実際に実験を重ねた可能性、つまりはアルキメデスの鏡現象の再現に成功した可能性も高い。
 しかし、アルキメデスの鏡が引き起こしたとされる現象の詳細は不明であり、何を持って再現が成功したと言えるのかは不明である。ただ太陽光を用いて離れた何かしらに火を点けることならば、難易度は低い。
 上記の引用は下で示すように『超古代クリスタル・ミステリー』に頼っているのだが、ここではアンテミオスの幾何学的な説明が省略されているのがなんとも残念である。

 「多数の人物――燃焼には少なくとも二十四の反射鏡が必要とわかった――の助力を避けるために、われわれは次のような手法を考案した」とあるように、多くの鏡を一人で操作するために、アンテミオスは六角形の鏡を中心とし、その各辺に小さい鏡を取り付け、更にその外側に別の小さい鏡を同心円状に取り付けた装置を開発した。
 以下、アンテミオス本人による説明を見る。
 「六角形の反射鏡ΑΒΓΔΕΖを考え、別の反射鏡を直線ΑΒ、ΒΓ、ΓΔ、ΔΕ、ΕΖで接続する。」(※9)ここで六角形の六つ目の辺ΖΑが除外されていることに注意されたい。「各々の反射鏡はこれらの直線がヒンジとなって動くよう若干直径を小さくし、接続には革紐や玉軸受を用いる。周りの鏡を中心の鏡と同一平面にすれば、各連結鏡からの反射は明らかに同一方向になる。もし中心の鏡が左側で動かなければ、周りの鏡を中心方向内側に傾けると、周囲の鏡から反射した光線は中心の鏡から反射した光線方向となる。同様の手順を踏んでもうひとつ隣の鏡を中心方向に傾けて光線を一点に集めていけば、ある距離で点火する。
 四、五枚、あるいは燃焼点からの距離に比例して鏡を互いに離すときは七枚の鏡を用い、光線を互いに交差させ、さらに強烈で有効な加熱をするように点火すれば、燃焼にはさらに効果的である。なぜなら鏡が一ヵ所にあると、反射光線は互いに鋭角で交差するため、軸の周囲のほぼ全空間が過熱されて燃え上がる。したがって燃焼は一点だけで起こらない。しかもこれらの同一平面鏡で敵軍を盲目状態に陥れることができる。というのも、敵が接近してきたとき、盾の上部か内側に合わせた平面鏡をもつ相手側の接近は見えず、したがって上記のように太陽光線を敵側に反射させれば、彼らを簡単に潰走させることができるのである。
 したがってある一定の距離を炎上させるのは、点火鏡、つまり反射鏡などを用いれば可能である。事実、神業に近いアルキメデスの伝承によれば、ひとつではなく複数個の点火鏡を用いて点火したといわれている。遠く離れた位置を燃やす方法はほかに考えられない。」(※9)

 私にはどうしてもアンテミオスの装置がとてつもなく巨大でなければ、アルキメデスが成し遂げたとされる神業である「矢が届く距離より離れた特定の位置で、太陽光線によって燃焼を引き起こす」ことは不可能に思えるのだが、ここでのポイントはそこではない。
 アンテミオスの時代(5世紀末から6世紀)には既にアルキメデスの鏡伝説が「矢が届く距離より離れた特定の位置で、太陽光線によって燃焼を引き起こ」し、そしてそれが「ひとつではなく複数個の点火鏡を用いて点火したといわれている」点である。


 また、ヨハネス・ゾナラス(11世紀後半から12世紀中頃)の『歴史大要』によると、アンテミオスは師匠にあたるプロクロス(詳細不明、新プラトン主義者・哲学者のプロクロスとは別人)と共に514年のコンスタンティノープル港包囲に際して、敵の艦隊を集光鏡にて追い払ったとされている。
 『超古代クリスタル・ミステリー』p.215においてテンプルは「同時期・同一都市でゾナラスが述べるのと同じ方法をプロクロスが用いたと記したアンテミオス自身の文章が厳然と現存する」と書いているが、アンテミオスの文章の詳細は記されていない。

 次にアルキメデスの鏡に触れた書物が出現するまでには、大きな時間の経過が必要である。


※5:『鏡の歴史』、河出書房新社、106ページ
※6:『超古代クリスタル・ミステリー』、徳間書店、211-212ページ
※7:『超古代クリスタル・ミステリー』、徳間書店、212ページ
※8:『超古代クリスタル・ミステリー』、徳間書店、212-213ページ
※9:『超古代クリスタル・ミステリー』、徳間書店、213-214ページ



3) 11世紀から13世紀

ヨハネス・ゾナラス(11世紀後半から12世紀中頃)
 『年代記』(邦題が異なるだけで前出の『歴史大要』と同一の書物と思われる)にて、アルキメデスは彼の発明によって「敵艦隊を粉砕し、空中に巻き上げ、そして水のなかに投げ出した後、彼は敵艦隊を焼き尽くした」とされている(※10)。
 「それから彼は驚くべき手段によって全ローマ艦隊を焼いた。ある種の鏡を輝く太陽に向かって掲げて太陽光線を受け取るのだが、当の鏡がとても滑らかですべすべしているために空気に火がついて、艦隊にまっすぐ向けられた大いなる炎はそれらを焼き尽くした。」(※11)
 ここではアルキメデスの鏡は単独ではなく、他の発明品による打撃の後、最後の一撃として使われている。

 さらにゾナラスは前述のように、514年のコンスタンティノープル包囲の際にプロクロスが光学兵器を用いたと書いている。
 バルトルシャイティスは、カッシウス・ディオ(既出、155年?から230年頃)がビザンティウム(後のコンスタンティノープル)要塞のことをシュラクサイをモデルに記述し、その発明をプリスクスなる人物の功績としていたため、ゾナラスはプロクロスをこのプリクリスと混同し、更には5世紀の新プラトン主義者であり哲学者でもあるプロクロスとも混同していると指摘している(※12)。
 「彼は集光鏡を錫でつくって、それを敵の艦隊へ向けて壁にまっすぐに吊したという。太陽光線が集光鏡に当たると、そこから稲妻のように発した火が艦隊へと船員たちに激しくぶつかってすべてを焼いた。これは、かつてローマ人がシュラクサイを包囲した際にアルキメデスによって発明されていたものである」(※12)。
 ここからアルキメデスの鏡は壁に吊されて使用されることが分かる。


ツェツェース(1110年頃から1180年頃)
 『千万物語』から以下引用。
マルケルスの艦隊が弓の射程に入ったとき
老人(アルキメデス)は六角形の鏡をつくらせた。
この鏡の周りに一定の距離を置いて
彼は別のもっと小さな正方形の鏡をいくつか取りつけた。
それらは蝶番と薄板の上で動くことができた。
夏冬変わらぬ南国の
陽光のただなかに彼は鏡を据えた。
太陽光線が反射すると
恐るべき火が船につき
船は弓の距離のところで灰燼に帰した。
」(※13)
 ここではアンテミオスが考えたアルキメデスの鏡に類似した内容が示されている。だが、アンテミオスの鏡とは異なり、六角形の鏡の周囲を完全に他の鏡で囲んでいる。
(アンテミオスは六角形鏡の五辺により小型の鏡を接続させたが、一辺だけは残していた。)
 更に注目すべきはアンテミオス同様に、アルキメデスの鏡は弓が届く距離よりも離れた位置から艦隊を焼くとしている。


ヴィテロ(1230年頃から1280年以後1314年以前、ウィテロとも)
 『光学』の「第五巻」にてアンテミオスへの記述がある。「アンテミオスは、なにやら定かならぬ実験にもとづいて、二十四個の(鏡の)反射が、可燃性の物質の同一点に集中すれば、それだけで火をつけることができると主張している。」(※14)
 アンテミオスの『機械的な矛盾について』が13世紀後半まで伝わっていたことが分かる。ならばツェツェースも同じくアンテミオスを参照出来たのであろう。

 ヴィテロは更にアンテミオスの装置に改良点を指摘している。
 「しかし、これらの六角形を球面をなすように互いに組み合わせるなら、この球面の中心からすべての光線が反射され、それらが一点から垂直に各鏡面の上に再び落ちて、熱の力を増大させるだろう。だからこそ、そのような鏡は六角形よりも三角形によって構成したほうがいいと思われる。なぜなら、光線の数は鏡面の数によって数えられるからである。」(※14)
 ヴィテロはアンテミオスの平面鏡からなるアルキメデスの鏡に更なる複雑化を提案しているのだ。
 そして実際にこの後、アルキメデスの鏡は複雑怪奇な発展を遂げることとなる。

 またヴィテロは「一枚の平面鏡を大要に向けても火を獲得することはできないが、多数の平面鏡を用いれば、それが可能である」(※14)と述べているにも関わらず、彼のリスナー版の表紙(図1)で描かれたシュラクサイの防衛戦で活躍するアルキメデスの鏡は一枚で、それもどうやら平面鏡ではなく曲面鏡のようだ、敵艦隊に火を放っている。



※10:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、143ページ
※11:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、143-144ページ
※12:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、144ページ
※13:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、145ページ
※14:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、146ページ




4) 13世紀から17世紀

ロジャー・ベーコン(1214年から1294年)
 アンテミオスの提唱した複数の平面鏡からなるアルキメデスの鏡はここで一旦弱まり、曲面鏡の伝統が優位となる。
 ベーコンは集光鏡についてこう書いている。「実験化学は、球体から鏡の凹面へと向かうあらゆる形象がそこで等しい入射角をなすように、卵形ないしは環状の、あるいはそうした形に近い(つまり放物面状の)鏡の形状を描くことを幾何学に命じる。しかし幾何学者は、この種の鏡がどんなことにふさわしいかをわきまえず、その用い方を知らない。」(※15)
 幾何学者が理解していない放物面鏡の使い道とは、「実験者は、この鏡によって、可燃性の物体を燃やし、あらゆる金属を溶かし、あらゆる石を焼くことができる。彼は、破壊しようと思うなら、近くからだけでなく、望むがままの距離から、いかなる軍隊でもいかなる要塞でも破壊することができる」(※15)。
 可燃物質を燃やし、金属を溶かし、石を焼くことの出来る便利な放物面鏡が、アルキメデスの鏡として転用される。
 「この種の鏡を十二枚使えば、流血なしにサラセン人や韃靼人を追い払うことができる。」(※15)
 敵は今やシュラクサイやコンスタンティノープルを取り囲んだ敵に有効だったアルキメデスの鏡は、ベーコンの時代においてもその威力を失ってはいない。
 更に注目すべきは、「この種の鏡を十二枚使」うとしていることだ。一枚では威力が足りないのだろう。
 これはアンテミオスの書物に見られた「神業に近いアルキメデスの伝承によれば、ひとつではなく複数個の点火鏡を用いて点火したといわれている」との記述を思い起こさせる。


コルネリウス・アグリッパ(1486年から1535年)
 彼もまた「太陽光線を集め、そしてそれを燃えやすい物質に激しく反射して、きわめて遠くからでも火をつける集光鏡がつくられた」と書き残している(※16)。
 実際に1474年のモンパンシエ伯爵夫人の財産目録に「鉄製集光鏡」の記載が見られる(※15)。その実用性までは不明であるが。20130217-0.jpg


オロンス・フィーヌ(1494年から1555年)
 『一定の距離をおいて火を生じさせることのできる集光鏡について』との本を著す。
 この著書の序文では著者であるフィーヌは「その学問と手わざによってシュラクサイのくだんの老人の技術を再発見したものとして紹介されている」(※17)。
 彼の集光鏡はヴィテロに基づいており、平面鏡ではなく放物面である。その輪郭は直円錐の斜めの断面から得ている(※18、図2-1、図2-2)。
 曲面の調節によって焦点距離を任意の距離にすることが出来るが、「この装置は実験室の仕事のために考案されたのであって、艦隊に火をつけるためにではない」(※19)。
 アルキメデスの技術を再発見したフィーヌはしかし、アルキメデスの鏡そのものの再現者ではなかった。


ジェロラモ・カルダーノ(1501年から1576年)
 彼は『繊細な事柄と創意について』にて、アルキメデスの鏡について述べている。
 「しかし、ガノレスがアルキメデスによってつくられたと語っている、あの敵艦隊を焼いた鏡のように、遠くから火をつける鏡をつくりたいと思ったなら、放物面か円か球のかたちでなければならないことは明らかである。そうした鏡はとても大きくならなければならない。つまり、きわめて大きな球面と球体の部分をもたなければならない。」(※19)
 「とても現実的ではない巨大な点火鏡が必要となる」のを避けるために複数枚の平面鏡からなる装置を考えたアンテミオスの逆転現象がここでは見られる。平面鏡は退けられ、曲面鏡こそがアルキメデスの鏡だと推定され、そのために鏡は大きくなければならないとされる。
 また「ガノレスがアルキメデスによってつくられたと語っている」との記述も興味深い。現存しない資料が当時はまだ残っており、そこではガノレスがアルキメデスの鏡について何かしら語っていたのだろうか。

 アルキメデスの鏡を巨大な曲面鏡へと連れ戻したカルダーノは語る。
火を一千歩尺の距離にまで伸ばしたいと思うなら、直径が二千歩尺の長さになるような円を描くこと。」(※19)
 だが一千歩尺の距離のものに火を点けるために、直径二千歩尺の鏡を作るのは馬鹿げている。この問題をカルダーノは「部分」で解決する。
 直径二千歩尺の鏡は必要だが、それはその鏡全てが必要なのではない。ただその1/60あれば十分なのだ。
われわれはその丸さが分からないくらいに大きな円の部分をとるだろう。つまり六十分の一の部分だ。」「われわれは円の部分のまわりをまわるが、それはわれわれに球体の部分を描き出すだろう。それを磨いてつるつるにし、太陽に向ければ、それは一千歩尺の距離にあるものにも十分に強力な火をつけるだろう。」(※20)
 今や鏡は円ではなく僅か6°の部分だけが必要とされている。
 彼のこの鏡は「ガラスを鉛の厚い層で覆い、それを漆喰の塊のなかに置いてつくることができ」たが、しかしカルダーノの弟子であるG=B・デッラ・ポルタによって批判される。ポルタによれば、カルダーノの鏡は「三十歩尺を越えると物を燃やすことができなかったらしい」(※20)。
 更にバルトルシャイティスはその原因として、「広大な円周の微細な断片としてのそれは、曲面を確保するには小さすぎ、製作するには大きすぎるのである」と述べている(※20)。

 だがカルダーノはもはやアルキメデスの鏡の利点を認めていない。時代はもはや古代の神話ではなく、大砲という技術に移り変わったのだから。


G=B・デッラ・ポルタ(1538年から1615年)
 彼は『自然魔術』にてヴィテロ、アンテミオスに触れている。
 「複数の小さな平面鏡でひとつの集光鏡をつくることができる。このように球凹体を形づくって、すべての部分が相接し、しかもこうした鏡の諸部分が六角形にも四角形にも、あるいは三角形にもなるようにすることができる。アンテミオスは、七枚の六角形の鏡を並べてつなぎ合わせれば、火をつけることができると考えた。」(※21)
 後半のアンテミオスに関する部分は詳細不明である。一体どこから、六角形の鏡七枚などという数字が出て来たのであろうか。

 ポルタはアルキメデスの鏡の考察も行っている。彼はアルキメデスの鏡が他の発明品による打撃の後、粉砕された敵艦隊に対して最後の仕上げとして使われていたと過去の歴史家たちが記していたことを再発見した。
 ならば、とポルタは考えた。アルキメデスの鏡の焦点は、シュラクサイの岸より遠く漂う敵艦隊のなれの果てに向けられたはずである。
 つまり「狙われた対象は、もはや太陽と鏡のあいだには位置していない。光と熱は、両側の開いた円錐台の形をした放物面状の器具の前にではなく後ろに反射する。そこでは太陽光線は、ちょうどソケットのなかにとらえられるようにして同じ方向に進まされる」(※21)。
 現在の感覚からすると、理解不能なことをポルタは述べている。しかもその詳細は「われらが神の計り知れぬ善意」(※21)を感じ取れるようにとのポルタの有り難い思し召しから、記されていない。
 しかもポルタの装置では、太陽光は焦点に収斂せずに無限に伸び、その軌道上全てのものを焼くとされる。「円錐曲線体の内部にある焦点が、空中に火矢のように発射されて焼線(linea ustoria)に、無限の燃える線になる」(※22)。



※15:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、149ページ
※16:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、150ページ
※17:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、153ページ
※18:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、154ページ
※19:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、156ページ
※20:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、157ページ
※21:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、158ページ
※22:『バルトルシャイティス著作集第4巻 鏡』、国書刊行会、160ページ




補足

 本来は一つの記事にまとめる予定だったのだが、あまりに長くなったため分割する。
 次回はhttp://kkkate.blog.fc2.com/blog-entry-467.htmlで公開予定。
 この後、「われらが神の計り知れぬ善意」を感じさせるかのような常軌を逸した装置と、それに対する冷ややかな否定が激突することとなる。

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