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『夏の夜の夢・あらし』感想:★★★★★

2012.12.27 Thu


夏の夜の夢・あらし (新潮文庫)

シェイクスピア 新潮社 1971-08-03
売り上げランキング : 13158
by ヨメレバ


 「夏の夜の夢」(もしくは「真夏の夜の夢」とも)と、「あらし」(「テンペスト」の方が通りが良いか?)の2作品を収めた1冊。
 そのどちらにも人間の英知の及ばぬより大きな存在の気配が満ち、人間の限界を認めると共にそれ故のおおらかさをも有する、豊穣でしなやかな世界が広がっている。
 その淡く切なく不格好に美しい古き良き世界は、極端と奇異を良しとする私にとっては否定したくて堪らない存在ではあるのだが、それでも作者の豊かな手腕を認めないのは、それはそれで醜悪だ。
 個人的な葛藤は後に回すとして、以下2作品のあらすじ。


 「夏の夜の夢」で舞台となるのは、アセンズ(アテネ)の地。
 アセンズの大公シーシアスは、アマゾン族の女王であるヒポリタとの婚礼を目前に控えていた。
 そんな中、アセンズに住まうイジアスは娘のハーミアをデメトリアスと結婚させようとしていた。その話にハーミアを愛するデメトリアスは大いに乗り気であるが、しかし何とハーミアはライサンダーを愛していると、それもライサンダーも自分を愛してくれている、つまりは両思いなのだと言い出す。
 父親の意に背く結婚はアセンズの法律違反。自分たちの気持ちを貫き通すために、ハーミアとライサンダーは駆け落ちを決意する。その前準備として、アセンズの近くの森へ逃げ出すことに。
 しかし彼らの計画を知ったハーミアの友人でありデメトリアスに恋するヘレナは、それをデメトリアスに教えてしまうのだった。








 一方アセンズ近くの森では、妖精の王オーベロンは妻タイタニアと一人の小姓を巡って対立中。
 タイタニアに恋のまじないをかけることで最初に見た者に恋い焦がれさせ、それを餌に己の意を通すことを思い付いたオーベロンは、妖精パックを使って自分の計画を進める。
 だがそのタイミングで彼らのいる森へと駆け込んできたのは、ハーミアを追うデメトリアスと、彼に恋い焦がれるヘレナ。
 デメトリアスの冷たい仕打ちに同情したオーベロンは、彼がヘレナのことを愛するようにタイタニアに掛けるのと同じまじないをデメトリアスに仕向けろと命ずる。
 さっそくパックはその仕事にとりかかるが、うっかりデメトリアスとライサンダーを間違えてしまったから、さぁ大変。
 オーベロンとタイタニア、ライサンダーとハーミア、デメトリアスとヘレナ、この3組の仲は果たしてどうなってしまうのか?


 ライサンダーの心を薬でもって変えることには反対するのに、デメトリアスに同じ事をすることには誰も異議を挟まないあたりに納得がいかなかったり、結局はオーベロンの悪巧みが成功してタイタニアが良いように扱われてしまうことにもやもやしたものが残るものの、ラストに行われる素人芝居の滑稽さで全てが些細なことに思え、このハッピーエンドを受け入れる気になる不思議な作品。

 人間よりも上位の存在である妖精パックの剽軽さと気軽さ、妖精の王であるオーベロンと女王タイタニアの人間と何ら変わるところのない夫婦喧嘩っぷりなどが作品全体におおらかな豊かさを与えている。
 彼ら人外の登場人物は人間よりも力を持つ存在ではあるが、けれども絶対的な基準にはならない。
 彼らの影響で人間の心はあっさりと変わってしまうが、けれど彼らもまた人間と同じように過ちを犯し失態を演じる完璧とはほど遠い存在なのだ。
 絶対的で揺るがない基準などはどこにもなく、ただ己の欲望と他者への良かれと思っての配慮が交差するだけの、アニミズム的な観念が満ち溢れる健全にも程がありすぎて、読んでる私に発作が起きそうなほどに平和な作品。

 つまるところ、真っ白も真っ黒も結局は同じく不自然なのだ。
 己の汚さを受け入れ、他者の計略をも飲み込み、そうして持ちつ持たれつで成り立ってこそ、健全、なのだろう。




 「あらし」は、好いた好かれた嫌われたが飛び交う「夏の夜の夢」から一転しての復讐譚。
 ミラノ公の地位を弟アントーニオーによって不当に奪われ、娘ミランダと共に海に流され亡き者とされたプロスペローはしかし、とある小島に流れ着き生き延びていた。
 彼はそこで魔法使いとなり、島の妖精達を支配下に置いたのだった。その中の特に一人であるエーリアルを使って、プロスペローは復讐を開始する。
 先ずは手始めに彼をこの現状に追い込んだ弟アントーニオーと彼に手を貸したナポリ王アロンゾー一行の乗る船を難破させ、魔法の嵐によって彼の島に漂着させたのだった。


 プロスペローの強い復讐の意志から物語は始まるが、しかし結局のところプロスペローは弟アントーニオーを許す。アントーニオーが改心したわけでもないのに、だ。
 けれど、プロスペローの判断は「正しい」。
 例えどれほどの酷い仕打ちを受けようとも、相手を自分と同じ境遇にまで突き落とそうとむやみやたらと憎悪を撒き散らすことは、決して肯定されることではない。その行為は自分をその憎き相手と同レベルの存在に貶めることと同義でもある。
 そうは言っても、分かっていても実行できないのが、人間と言うものだ。自分が壊されたのなら、相手を壊したいと願う。自分の立場を取り戻すよりも、相手への復讐心が先に立つ。

 だがこのプロスペローは許すのである。そこには娘ミランダとナポリ王の息子ファーディナンドの間に産まれた若く美しい恋も影響を与えてはいるのだが、それもまた実に眩しい。
 己は屈辱を味わい今ようやっとその復讐の時が来たと言うのに、一方の娘は敵の息子と恋に落ちて幸福の中にいるのだ。そんな事態が果たして認められるだろうか?
 島での辛い暮らしにおいて唯一の心の支えだった娘が、自分の長年の夢の成就を前に心を他へと逸らしているだなんて、苛立つこと間違いなしの状態だ。
 それでもプロスペローは最終的に、娘のその気持ちを尊重する。

 長い長い雌伏の時を経て、ようやっと彼は自分の人生を取り戻すチャンスを得る。
 それに当たって、彼が世俗で失ったものの代わりに手に入れた島での特殊な力、魔術と妖精エーリアル、を手放す。
 そして観客に問いかけるのだ。もはや何も持たぬ自分は、けれども果たして世俗に戻っても良いだろうか、と。
 誰が彼に否と言えよう。
 一度は魔法を極めた男の、この丸裸の姿。苛烈な復讐心と、それを捨てる勇気。他人が変わらぬことを受け入れ、認め、代わりに彼は自分を変えて、生きるのだ。


あのたわいの無い幻の織物とどこに違いがあろう、雲を頂く高い塔、綺羅びやかな宮殿、厳めしい伽藍、いや、この巨大な地球さえ、因よりそこに棲まう在りと在らゆるものがやがては溶けて消える、あの実体の無い見せ場が忽ち色褪せて行ったように、後には一片の霞すら残らぬ、吾らは夢と同じ糸で織られているのだ、ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる……(p.243, 「あらし」)


 一片の霞すら残さずにいつか消えゆく身ならば、誰も憎まず誰をも許して生きていたい。他者が変わらぬことに苛立つのではなく、自分自身が姿を変えることで、強い風に立ち向かうのではなく柳のように受け流したい。そしていつの日か、霞も残さずに消え去りたい。

 今の私は知っているのだ。思春期真っ只中の、自分を否定する全てを否定する時期はもはや随分と遠くに去った。
 どれほど自分を変えようとも、結局は私という物体は今のところ確かに存在しているのだと。むしろ私という存在を私自身が抹消することの方が不可能なのだと。今は理解している。
 ……そう分かっていても、自分を変えるのは困難だ。
 私は一貫性を信奉している。変わらぬ「何か」が必要だと信じ込んでいる。その「何か」こそが私なのだと。
 けれど実際はきっと違う。変わっても良いのだ。一貫性など放り投げても、私は私なのだろう。

 でも、踏み出せない。そこには大きな転換のパラダイムが必要だ。
 シェイクスピアが本作で描いてみせたように、全ての人間が彼の創作のようにおおらかで健全であれば良かったのに。
 そうすればきっと後の時代の不幸は随分と減っただろう。現在を支配する科学なるものも産まれなかったことだろう。私も今の私とは随分と違った価値観の持ち主になっただろう。

 つまるところ、この2作をそのまま飲み込むことは、現状の私を否定することと同義なのだ。だからこそ、発作を起こす。
 一貫性という信仰にしがみつくためには、私はシェイクスピアの描く妖精やその王や魔法使いを否認しなくてはならない。この世に人間に感知できない人間を治める精神体など存在しないと断定せずにはいられない。宇宙にエーテルなど満ちてはいない。

 けれども魅惑的に感じるのだ。もしも素直に肯定することが出来れば、どんな変化が私に起こるだろうかと想像することに。
 いつか認められる日が来るかもしれないと、そう夢見て私は時折この手の書物を手に取るのだろう。
 その結果が幸福に繋がるのか、はたまた破滅に向かうのかは、実際のところ分からないのだが。


ジャンル別:戯曲・シナリオ|作者別:ウィリアム・シェイクスピア
より詳しくは右カラムのカテゴリから選択してください。


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 しっかし、シェイクスピアって『フォースタス博士』のクリストファー・マーロウと同世代の人だよね? どうしてここまで「健全」なんだよ。びっくりしたわ。
 彼らの作品が有する内容の格差に涙が止まらなくなっちゃう。

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