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『巨匠とマルガリータ』感想:★★★★★

2012.08.13 Mon


巨匠とマルガリータ

ミハイル・アファナーシエヴィチ ブルガーコフ
郁朋社 2006-11
売り上げランキング : 297051
by ヨメレバ


 なにがどう面白いのかと問われると、言葉に詰まってしまう。
 他人に勧めるかと問われれば、きっとしないと思う。この作品はきっと人を選ぶ、少なくとも日本人にとっては馴染みが良いとは言えない。ファウストを始めとする、悪魔との契約物語を知っていた方が楽しいだろう。


 なんて前振りはどうでも良くて、ただ言いたいのは私にはとても面白かったという一点に尽きる。
 本は大きいし重いし、どう持ってもどこかしらが痛かったが、そんなことが気にならないほどに楽しかった。

 けれども作中で起きる出来事と言えば、悪魔の集団が現れては人々を欺き、そして去って行くだけだ。
 登場人物は雑多、しかも慣れないロシア人名は「お前誰だったっけ?」現象を引き起こす。舞台は1930年代のモスクワのはずなのに、挿入される作中劇はなんと、イエスの処刑を描いたものだ。

 自由を奪われ作家としての人生を大きく狂わされたブルガーコフの、ソビエト体制への批判もあちこちに見える。
 が、そんなこと知らなくとも、ただただ面白い。
 ブルガーコフは深い悲しみと傷口を、笑いと滑稽さをまぶして差し出してくれている。二度と立ち直れないほどの大きな打撃を受けても、その生の終わりまで人は歩いていかなければならず、そして生活には必ず笑いが必要なのだから。
 それはかつてのソビエトでも、現在の日本でも、時代も場所も関係なく受け入れなければならない普遍の原理だろう。だからこそ滑稽で、そしてどこか物悲しくて、面白いのだ。








 春なのに暑いモスクワ、詩人のベズドームヌイは編集長のベルリオーズと共に人気の無い池の畔を歩いていた。
 ベズドームヌイにベルリオーズはこんこんと神の不在を説き続ける。そして同時に悪魔をも切って捨てる。
 二人の会話に突如割り込んだのは、不思議な人物。高価な背広に外国製の靴を履いた紳士。外国人だ。
 訛りのあるロシア語で、外国人は二人に神の実存を、悪魔の存在を信じろと言う。だがベルリオーズは彼の言い分なぞ鼻にもかけない。
 そんな彼に向かって、外国人は不思議な予言を贈った。
 それは「あなたは首を切断されて死にます。何故ならアーンヌシカがもう向日葵油を買ってしまい、しかもそれをこぼしてしまったから」と言うもの。
 唐突で意味の掴めないその言い分に動揺する二人に向かって、外国人はポンティオ・ピラトの物語を、イエスが無罪であることを知りながら彼の処刑を認めざるを得なかった将軍の話を語るのだった。

 二人はこの外国人が精神を病んでいるのだと判断する。外事局へ連絡するために駆け出したベルリオーズは、線路を渡ろうとして、そして。
 件の外国人の予言が実現するのを目撃出来たのは、ベズドームヌイだけであった。
 

 この一件を周囲に説明しようとしたベズドームヌイは精神病患者と認定され、郊外の精神病院へと入れられる。そこで彼は自分と同じ患者である「巨匠」と出会うこととなる。
 この巨匠こそが、あのポンティオ・ピラトの作者なのであった。彼はその物語を編集者に見せたことで酷評され、作家としての人生を奪われてしまったのだった。
 心の安定をも欠いた彼は、愛人であるマルガリータの前から失踪し、今ではこの病院でひっそりと患者として暮らしていた。

 一方の外国人、彼こそは力ある悪魔ヴォランドであった。彼は悪魔の舞踏会を開くために手下を引き連れてわざわざモスクワまでやって来たのだ。
 舞踏会には女主人が必要であり、それは現地生まれの「マルガリータ」という名前の女でなくてはならないと言う。その重大な役目を担えると、目を付けられたのは……。


 モスクワを覆う閉塞感と、それを打ち砕くだけのエネルギーを秘めたヴォランド一行。
 彼らの狼藉は普段の生活から皮を一枚剥がし、その下にうねる善も悪をも明らかにする。その様は劇場での騒ぎで最高潮を迎えるが、それ以前も以後も登場人物一人一人の振る舞いにも現れている。
 巨匠の作品として挿入されるポンティオ・ピラトの物語は最初は唐突で全体から浮いているように思えたものの、徐々に溶け込み、最後には違和感なく合流する。その様の自然で見事なこと。
 ブルガーコフが長年書き続けただけはあり、人物の一人一人、台詞の一つ一つにまで神経が行き渡り、実に読み応えがある。先の何気ない一言が後に繋がり、後半のささやかな出来事は前半で予言されている。

 人々がてんやわんやする中で、マルガリータだけは変わらずにただ巨匠だけを思い続け、ついにはその願いを叶えてしまうのだ。
 ゲーテの『ファウスト』の一説「我は永遠に悪を欲し、永遠に善をなすあの力の一部なのだ」がここに来て意味を持つ。
もし悪が存在しないなら、お前の善はどうなる、もし地上から影が消えてしまうなら、大地はどんなふうに見えるだろうか? なにしろ、影は人や物があってこそできるものではないか。(p.424)


 ヴォランドたちはマルガリータ、巨匠、その他様々な人々の人生を変えるが、彼らにとってはそんなことは全く価値がない。
 ただ舞踏会を開催するためだけにやってきた彼らは、己の望みを果たして去って行く。モスクワには彼らの影響の残滓が漂うが、それらも当局らによって現実に回収されていき、全ては元通りとなる。
 だがモスクワの街は完全には元には戻れない。ヴォランドたちの行動の余波を微かに受けた二人の人間だけは、いつまでもそのことを覚えている。
 片方は以前と変わらぬ生活を送りながら、もう片方は以前とは全く違う道を歩きながらも、同じ日に月を眺める。あの狂乱の夜と変わらない月を。


テーマ別:ファウスト|作者別:ブルガーコフ
より詳しくは右カラムのカテゴリから選択してください。


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 それを聞いちゃあお仕舞いよ、なのは分かっているのだが、ヴォランドの正体が分からない。
 Wを含む名前で、ゲーテの『ファウスト』を知っていれば分かり、イエスが処刑される頃には既に生まれていて、そして知ると恐怖に震える相手らしいが、誰だ。
 マルガリータを女主人、つまりは妻にしているならファウストかなと思うが、Wは入ってないしイエスの時代には生まれていないし。
 悪魔と言えば鏡文字ってことでWじゃなくてMにして、メフィストフェレスの線は……いやでもメフィストさん、旧約聖書に載ってない悪魔だし。生誕はファウストとほぼ同じだそうだし。
 そもそも鏡文字は左右を反転させるものであって上下はアリなのかどうか。

 ああもう、誰?
 『ファウスト』は原作じゃなくて、ブルガーコフが好きだったと言うオペラを見ないと分からないのか?
 でもオペラでも別に登場人物増えたりはしないんじゃないかな、と。


 Mと言えば、この『巨匠とマルガリータ』とのタイトル、私は当初「何とも微妙な」と思ったのだけれど、ここにも工夫があるんだそうですよ。
 巨匠もマルガリータも共にその綴りはMから始まり、モスクワの頭文字もM。これはヴォランドのWと対比を成しているとのこと。

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8)) 巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)


 その点では、私が買った郁朋社よりも群像社の上下二分冊の装幀の方が分かりやすい。
 以上の情報はようこそ、「巨匠とマルガリータ」の世界へで教えて貰ったのでした。

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