RSS|archives|admin


<<マシュマロみたいな緩衝材が大量に出てくることを期待したのに:購入履歴・新本編33 | ホーム | 延期は一度だけよ:購入履歴・新本編32>>

『壁』感想:★★★☆☆

2012.03.10 Sat


壁 (新潮文庫)

安部 公房 新潮社 1969-05-20
売り上げランキング : 29069
by ヨメレバ


 纏わり付くは既視感。記述される全ては奇想天外なのに。
 そのせいか、第一の感想は「物語が長い、長すぎる。もっと短篇にしてくれ」。


 本書、『壁』は安部公房の短篇集。収録作品は以下。
  第一部 S・カルマ氏の犯罪
  第二部 バベルの塔の狸
  第三部 赤い繭
   赤い繭
   洪水
   魔法のチョーク
   事業


  「S・カルマ氏の犯罪」は第25回芥川賞を、「赤い繭」は第2回戦後文学賞をそれぞれ受賞した。
 感想は折りたたみ。
 我ながら長すぎると思うの。って、いつもか。








 もう何度も書いているような気もするが、私が初めて読んだ安部公房は「棒になった男」だった。記憶が確かならば、中学の国語教科書に載っていたのだ。
 デパートの屋上から転落する男。地面に転がったのは死体ではなく、ただの棒であった。男は棒と化してしまったのだ。
 何故男は棒になってしまったのか、ならねばならなかったのか。
 その謎がゆるやかに提示されていく過程は実に心地よく、そしてそもそもが突然人間が棒になるという不条理に当時の私は、いや教室が驚愕したのだった。
 当時華麗なる学級崩壊を迎えつつあったあの倦怠感に満ちた空気を切り裂いた、新鮮な驚きの印象は清涼だ。いかにも読まされていますと言いたげなクラスメイトのやる気のない崩れた声が、その瞬間だけ濃い色を成した。

 それから何年もの年月を経て、私が次に出会った安部公房は『砂の女』であった。
 ここでは男は、ある空間に閉じ込められてしまう。あるのは家とその持ち主の女と、そして体のどんな隙間にも入り込む砂、砂、砂。
 崩れ落ちる砂は、同時に男の前に聳え立ってはその先を塞ぐ堅い障壁である。男の行為を拒絶する絶対的な外部でありながら、それは彼のあらゆる行為につきまとい彼の体の隅々まで侵入し、いつしか男の内面にもしっかりと根を下ろしていく。
 敵対し続けた男が最後に下した選択が、砂の勝利を示すと同時に男の軟弱さと柔軟さを私に印象付けた。


 と、別段本をひっくり返さなくとも、こんな風にダラダラと書けるほどに詳しい記憶を私に刷り込んだ安部公房なのに、三度目の今回はガッカリな結果に。

 第一部の「S・カルマ氏の犯罪」は、違和感と共に目覚めたある日、自分の名前を失っていることに気が付いた「ぼく」が主人公。
 名前がない「ぼく」は当然ながらサインをすることが出来ず、故に朝食代をツケにすることが出来ない。病院に行ってカルテを作るのにも一苦労だ。
 「貴方は誰なのか」との問いに、「ぼく」は答えられない。名前は「ぼく」が「ぼく」である証拠であり根拠であり、そしてそれは「ぼく」が日々重ねてきた選択の結果である現在を担保してくれるもののはずなのに、「ぼく」にはその名前がない。
 名を失ってしまった「ぼく」は、からっぽだ。もはや過去も現在もなければ、未来すらない。
こんな具合に理性が役立たなくなり、自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって、時間はただ壁のようにぼくの行手をふさぐだけです。(略)すべてが想像だとしてもそれがぼくだけの想像ではなくみんんなに共通の想像であれば同じことです。現実からこのおかしな想像をマイナスすればいったい何が残るというのでしょう。(p.80-81, 「第一部 S・カルマ氏の犯罪」)

 何も残らないならば、このおかしな想像を受け入れるしかない。その想像の中では「ぼく」の存在が認められないとしても。
 存在しない「ぼく」が辿り着いた先は。


 第二部「バベルの塔の狸」の主人公「ぼく」は、貧しい詩人である。
 「ぼく」は公園のベンチで、通り過ぎる女の脚を眺めながら、手帖に空想のプランを書き付けているが、その空想はどれもまだ完成していない。
 そんな彼の前に見知らぬ動物が現れる。犬にも似たそれは、なんと「ぼく」の影を咥えて走り去ってしまった。影をなくした「ぼく」は、影の原因となる肉体をも失う。あるのはただ目だけだ。
 追い詰められた「ぼく」は、心の慰めを求めて望遠鏡で夜空を見つめる。その視界の中、「ぼく」の方に向かってくるものがあった。それこそが、例の影泥棒であった。
 にやにやと微笑するその動物は、自分は「ぼく」の「とらぬ狸」だと、「ぼく」に説明するのだが……。
狸にとっても、私にとっても、目玉は有害なんだ。人間の視線は私たちの存在を濃硫酸のように焼きつくす。ひどい目、いたい目、つらい目、こわい目、なさけない目、すべてこの目玉の作用から来た用法だ(p.204, 「第二部 バベルの塔の狸」)

では微笑とは? 微笑こそ表情の三角点の中点、完全な無表情であったのだ。すべての表情が微笑に向かって解放されてゆく。微笑こそ、完全に非感情的なものを意味する。人は微笑を通してその向こうにある表情を読むことはできない。(p.204-205, 「第二部 バベルの塔の狸」)

 今や「ぼく」には目玉だけが、そしてとらぬ狸は顔に微笑を貼り付けている。


 上記2作品は、どちらも不要なものへの望まぬ変身を描いている。
 動揺しながらも、2人の「ぼく」は元に戻ろうと努力する。その片方は成功し、もう片方には更なる変身が待ち受けているのだが、それでも彼らは共に足掻く。
 だが失われた普通を取り戻そうと四苦八苦しながらも、彼らは失ったものの重要性に疑問を抱き続ける。
 変身する以前の「ぼく」を、「ぼく」は盲目的に肯定することが出来ない。変身以後の「ぼく」をもまた、「ぼく」は完全否定することも出来ない。
 その姿は、彼らは自分自身が肯定・否定するに足る存在であると確信出来ずに、不安だけを抱いているかのようだ。
 何もかもが疑わしく、何もかもが恐ろしく、何もかもが信じられない。空はいつ落ちてくるか分からず、地面はいつ消滅するか分からない。
 そんな世界で一体どうやって生きて行くことが出来るだろうか? けれど「ぼく」にはこの世界しかないのだ。


 そんな不安定な状況を、肯定・否定の入り交じったあいまいな態度で眺め続ける「ぼく」の姿が、今回の私には非常に、嫌、であった。
 その理由は、私自身が彼らと同じく、自分自身が肯定・否定するに足る存在であると確信出来ず、同じように不安定な現在をあいまいな気持ちで受け入れているからだろう。実際のところ、こうやって認めてしまうことはとても厭わしい。
 つまり私は上記の2作品を読みながら、「ぼく」の背後に私自身、それも微笑を浮かべた私自身、の存在を見てしまったが故に、「長い、長すぎる。終わりはまだか」と思い続けることになったのだ。
 物語が終われば「ぼく」には結末が与えられ、未だ不安定な状態を続ける私と「ぼく」が何の関係もないのだと納得出来るから。

 色々と不満を感じながらも読み続けた私の前で今や物語は終わり、「ぼく」には結末が与えられたが、しかしそれは私が望んでいたほどに分かりやすいものではなかった。
 「棒になった男」のように、どうして「ぼく」が望まぬ変身を果たすことになったのかが足りない。
 更に展開されるイメージの数々の内、いくつもがこの1冊の中で2回以上登場しているのも不満だ。砂の記述は、どうしたって私に「砂の女」を思い出させ、そして、その作品と比べてるとどうしても評価が下がってしまう。「棒になった男」、「砂の女」の方が後の作品なのを考えれば、当然のことでもあるのだが。
 

 最後の第三部「赤い繭」以下に収録されている4作品は、第一部・第二部と異なり紛うことない短篇。それぞれは独立しており、関連性は窺えない。


関連記事:
『殺人者の空(山野浩一傑作選・Ⅱ)』感想:★★☆☆☆
謎は全て解けた! と格好良く言い切れればいいのだけれど:購入履歴・新本編30
違いが良く分からない:購入履歴・新本編24
『水中都市・デンドロカカリヤ』感想:★★★★☆

作者別:安部公房|レーベル別:新潮文庫
より詳しくは右カラムのカテゴリから選択してください。





 こんなに長い記事を読んでいただきありがとうございました。

 ところどころに挿入されている安部真知の作品がとても素敵。
 私が持っている『砂の女』にはないんだけれど、これは銀色背表紙な新装版になるに合わせて削除しました、なんて展開じゃないよね? ね、新潮文庫さん。

Theme:読んだ本の紹介 | Genre:本・雑誌 |
Category:星3つ:★★★☆☆ | Comment(4) | Trackback(0) | top↑ |
<<マシュマロみたいな緩衝材が大量に出てくることを期待したのに:購入履歴・新本編33 | ホーム | 延期は一度だけよ:購入履歴・新本編32>>

そつなく興味を持たせる

良いレヴューですね。安部公房は必ずしも好みの作家ではないのですが、題材の一貫性には惹かれるものがあります。
izdUc8rE | Medeski | URL | 2012.03.11(Sun) 04:10:53 | [EDIT] | top↑ |

Re: そつなく興味を持たせる

Medeskiさん、コメントありがとうございます。

 題材の一貫性、あー、なるほど。
 漫然と「今までに見たことのない何か」を期待して読んでしまいましたが、変化ではなく一貫性をこそ見るべきだったのかもしれませんね。
 安部さんはもう1冊買っているので、一貫性を意識しつつそちらもチマチマ読んでみます。
- | 春色 | URL | 2012.03.12(Mon) 23:57:52 | [EDIT] | top↑ |

安部公房ファンです

こんにちは。はじめまして。
ブログのタイトルがちょっと近い感じだったので、立ち寄らせていただきました。
ちなみに安部公房さんのファンなのです。
特にはじめて読んだ安部作品が「壁」だったので、特別な感情を持っています。
usRKZg9Q | patch | URL | 2012.03.21(Wed) 11:37:12 | [EDIT] | top↑ |

Re: 安部公房ファンです

patchさん、はじめまして。

 あら、確かにブログタイトルちょっと似てますね。
 電子書籍でもない以上、本の置き場の悩みと言うのは何ともしがたいところです。

 patchさんの初・安部公房は「壁」だったのですか。私は「棒になった男」だったのですが、やっぱり最初に読んだ作品は特別な存在になりますね。
- | 春色 | URL | 2012.03.22(Thu) 22:42:58 | [EDIT] | top↑ |

name
title
mail
url

[ ]
Trackback URL
http://kkkate.blog.fc2.com/tb.php/179-1f2362ed