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『身体論のすすめ』感想:★★★★☆

2012.02.26 Sun


身体論のすすめ (京大人気講義シリーズ)

菊地 暁 丸善 2005-04
売り上げランキング : 306888
by ヨメレバ


 おや、意外と面白い。というのが率直な感想。
 門外漢にも身体について考えてもらおう、とのコンセプトで、幅広い分野の研究者から「身体論」をテーマに講義を行ってもらい、それを書籍化したのが本書。
 収録されているのは以下12章。続く13章目の身体論を考えるのは、読者の私であり貴方であるのだそうだ。

序章:「寄せて上げる冒険 ――あるいは身体のポリティクス――」 菊池暁
第Ⅰ部:表現と身体
 ・第1章 「ポルノ的身体とは何か ――表象理論と身体――」 大浦康介
 ・第2章 「日本で裸体を描く ――美術と身体――」 高階絵里加
 ・第3章 「音楽は『聴く』ものか ――音楽と身体――」 岡田暁生
第Ⅱ部:行為と身体
 ・第4章 「僕は、昔、皿洗いだった ――技能の身体――」 菊池暁
 ・第5章 「痛み・悼み・祈る ――宗教と身体――」 小牧幸代
第Ⅲ部:制度と身体
 ・第6章 「明治維新と天皇 ――天皇制の身体――」 高木博志
 ・第7章 「教室で座るということ ――学校と身体――」 谷川穣
 ・第8章 「耕す体のリズムとノイズ ――労働と身体――」 藤原辰史
第Ⅳ部:科学と身体
 ・第9章 「『機械』と『歴史』のあいだ ――生命科学の身体観――」 加藤和人
 ・第10章 「『血液循環の発見』とは何か ――近代医学の身体観――」 田中祐里子
終章:「言葉にできない ――死と身体――」 森本淳生


 各章に対する感想は続きを読む以下で。








 細分化し、蛸壺化が著しい昨今の「研究」状況に於いて、本書のように幅広い分野の人間にあるテーマを語らせるとのコンセプトはなかなかに面白い。
 未知の分野を覗きたいと欲した時に一番のネックとなるのは、まずその入り口に辿り着くことだと思っているので、こうして向こうから入り口を提示していただけるととても嬉しい。まぁ、これが実際に入り口足りうるかと問われると、若干違うような気もするが。


 死後の肉体と、今生きている「私」。動物であるアレと、人間である「私」。
 これらは全てシームレスに繋がっていると今の私は考えるが、そこに確固たる断絶を見る人間も存在している。どちらが正しいのか、それともどちらも誤っているのか、分かりはしない。
 触れることが出来、測定することも可能な肉体は、けれども「私」がその中に宿っていることから何よりも客観視の難しい対象でもある。そもそもの問題として、完全なる客観視など空論でしかないとの問題も有しているのだが。

 眠る前の「私」と、今起きている「私」は果たして同じ「私」なのだろうか。
 意識は睡眠や昏倒によって継続性を欠く。唯一、一貫して存在するのは肉体だ。ならば、「私」の一貫性を保証するのは身体なのか。
 だが体とて、子供の頃と今では異なっている。また観察する「私」の認識によって、私の身体は姿を変える。醜いと思い込めばそう見え、太りすぎていると信じればそう思える。
 確かなものなど何もない。ただぼんやりと認識できるのは、「私」というおぼろげな意識と、時間と角度によって姿を変える不定形な肉体だけである。



 誰一人同じ身体をもたないという点では人間の個別性・不平等性の起点であり、誰しも一つしか身体をもたないという点では人間の普遍性・平等性の起点でもある。(p.1)

 と、当たり前のことながら意外な事実を突きつけるところから始まるのが、序章「寄せて上げる冒険」。
 ここでは「寄せて上げるブラ」を例に挙げ、日本人が美しい胸なるものを受け入れて行く過程と、今や誰もが受け入れているその概念が決して必然ではないことを指摘する。
 美しいの定義は時代性を帯びており、そして我々はそれを求めて己の体を改造するのだよ、というお話。

 第3章 「音楽は『聴く』ものか」では、美術館は身体の機能の一つである視覚を、演奏会は聴覚以外を追い出してしまった、との指摘が面白い。
 美術館で油絵などを見るたびに触ってみたい衝動に駆られる身としては、とても良く分かる。だってどこがどれだけ厚塗りされているか知りたいのだもの。

 オウム真理教が起こした事件と9.11のテロにより、すっかり「宗教=何やら気持ち悪いモノ」との認識が根付いた観のある日本だが、宗教とは決して精神的なものばかりではなく、そもそも○○教と括ること自体がキリスト教に冒された西洋社会の押し付けだと告発するのは第5章 「痛み・悼み・祈る」。
 戦争にしろテロにしろ、加害者側と被害者側の言い分は真正面から激突するのが常だが、そのような視点から逃れ、犠牲者たちの「からだ」の痛みに焦点を当て、そこに想像力を馳せることが出来れば共感の輪が広がると著者は言う。が、そうなれば今度はどちらがより痛かったかのプロパガンダ戦争が勃発するだけだと思うのは、私が何も期待していないからなのだろうか。

 第6章 「明治維新と天皇」、第7章 「教室で座るということ」は共に、現在となっては普通のことで、故にずっと昔からそうだったのだと思い込んでいたことが成立したのが実は最近であったことを教えてくれた。

 菊池暁による序章と第4章も面白かったのだが、個人的に一番面白かったのは第9章 「『機械』と『歴史』のあいだ」。
 ゲノムが生命の設計図であることは今や誰もが知っている常識であるが、そのゲノムが歴史性をも有しているのだとの指摘には目から鱗の気分だ。
 私たち人類にはサルに似た祖先がいる。そのサルに似た祖先にも、これまた祖先がいる。そしてその祖先にも祖先が……と辿っていけば初めてRNAを利用して生命活動を開始した単細胞生物に辿り着くのである。
 我々が原始に発明されたDNA/RNAシステムを未だに利用し続けている以上、そこには当然歴史性が潜む。先祖が新たに行った改変を、アバウトに引き継ぐこともあるのだ。
 精緻であると同時にアバウトで柔軟性に富み、安定だが変化する。矛盾に充ち満ちた、一期一会な存在が現存の各生物であり、今を生きる個々の生命なのだ。


 最終章「言葉にできない」は、身体に向けられる視線の指向性と、己の身体に宿る死を連想させる存在である人形論。
 鏡に映る自分の像や人形に対して、「私」そのものを投影したことのない私には実感出来る箇所が殆ど無いのだが、それでもこの仮定を全部飲み込めば面白いフィクションが出来そうだな、とは感じる。
 問題はそれがフィクションの枠を出ることが出来ないようにしか思えないことだが。



 そんな訳で、幅広い分野から「身体」についての簡単な講義を収録した1冊でした。
 読んだからと言って身体論とは何ぞや的な解答が得られるわけではないが、本書の狙いは読者に答えを提示することではないから当然だ。
 本書はただ様々な道具を与え、それによって読者を自分の力で答えを求めて山に登山させることなのだ。
 肩肘張って読むような硬い内容でもないので、気軽にどうぞ。
 

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ジャンル別:人文|作テーマ別:身体論
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