RSS|archives|admin


<<一般向け科学書の個人的オススメまとめ | ホーム | 違いが良く分からない:購入履歴・新本編24>>

スポンサーサイト

--.--.-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Category:スポンサー広告 | Comment(-) | Trackback(-) | top↑ |

『すばらしい人間部品産業』感想:★★☆☆☆

2012.01.21 Sat

すばらしい人間部品産業

アンドリュー・キンブレル 講談社 2011-04-15
売り上げランキング : 87475
by ヨメレバ


 本書の原題は"The Human Body Shop"であり、「すばらしい」との形容詞を付けたのは翻訳者である福岡伸一だ。
 一応言っておくと、この「すばらしい」は皮肉である。ハックスリーの『すばらしい新世界』と同じ意図で使用されている。


 かつてアメリカで西部劇が流行したのは未開の地に踏みだし己のものに作り替えていく過程が受けたのだ、との説明を読んだことがある。その文章はこう続いていた。今や未開の西部は存在せず、故に舞台は宇宙へと移行した。スタートレックは、西部劇の現代版である。アメリカの思考を他者に押しつけ拡大していく様を描いているに過ぎないのだ、と。
 当時、スタートレック:ヴォイジャーを深夜放送で見ていた私は「そうかもね」と思ったのだが、もはやどこで読んだ文章なのかを思い出すことが出来ない。
 だが宇宙は既に征服対象としての魅力を失ってしまったようだ。現にスタートレックのTVシリーズは新作が作られる見込みはない。
 ならば次なる征服対象はと言えば、それはミクロの世界なのである。現在最も未知なのは、私たちの体そのものである。そしてこの征服対象は、とても金になる。宇宙は遠いが、身体は私たちそのものであり、誰もそこから逃げ出すことは出来ない。
 人間を部品の集合体として扱い、その部品を交換可能なものと見なす思考の蔓延に警告を鳴らすのが、本書である。









 現代の資本主義社会は常に「新たな技術」を求めている。新しい製品を次々と発表し、常に進化し続けることを強いられているからだ。客に今までよりもより良い製品をアピールしなくてはならない。変わり続けなくてはならない。変わらぬことをウリに出来るのはほんの一握りの会社だけである。
 それは科学者も同じである。彼らの将来は主要雑誌に論文をどれだけ掲載出来るか、そしてどれほど引用されるかで決定される。そのためには研究資金が必要であり、引用されるためにはホットな話題である方が望ましい。誰もが興味を持ちかつ実用性の高い分野ならば資金を募るのも簡単であり、また引用数も期待できる。
 そんな圧力の下、科学者たちが現在最も熾烈に戦っているフィールドは、遺伝生物学の分野である。

 誰も見つけられなかった新しい発見を。既に存在する技術よりも優れたものを。新しい製品を産み出さなくてはならない。誰よりも、早く。科学の世界に二番は存在しない。あるのは一番だけだ。
 このレースには終わりがない。人間の欲望という動力原がある限り、どこまでも走り続ける。それが現在の私たちが生きる資本主義の姿である。
 そこには飽くなき「進歩」への崇拝がある。だが変化が即ち進歩だとは限らないのだ。それは転落への甘い誘惑なのかもしれない。新しい知見は新しい問題を生み出すのだから。

 本書に挙げられているのは、その数多の問題点の一部である。
 中絶胎児の生体成分を利用したいが為に行われる、母胎に危険を及ぼす可能性の高い中絶法。不妊治療のために作られた凍結された受精卵の親権の問題。平均よりも背が低いのを理由に行われるホルモン注射。だが背が低いのは病気なのだろうか? ――云々。
 全ては効率主義と、人間をも部品の集合体と見なす機械論のせいなのだ。
 だからこそ、現代のこれらの問題の解決策として本書の作者は「共感」を挙げる。商品化し得ない尊い体との概念を守ることで、現在進行する問題を解決することが可能なはずだ、と言うのが本書の結論である。



 以上が本書の概要である。
 個人的には、本書の主張に全面的には賛同しかねる。著者の主張は理解出来るようで出来ない。それは恐らく著者がキリスト教の概念を下地として本書の主張を展開しているのが原因なように思う。


 著者は切り刻まれたプラナリアが再生する様を見れば、驚嘆を覚え、故に生物機械論的な思考が誤りであることが分かるだろうと主張するが、私はそうは思わない。
 私は今までに実際に幾度も生物が傷口を再生する様子を見、生物の持つ再生システムへの感動と、その精密さに声をあげて驚いた。生物は偉大だ。だがそれもまたそういう「システム」でしかない。
 生物というシステムに備わった不思議な力は、確かに現時点ではブラックボックスではあるが、全宇宙を支配する法則に反するような「理解不可能」なものではない。理論的には理解可能であり、記述可能な存在のはずだ。ならばいつかは再現も可能になるかもしれない。それが実際に可能かどうかはここでは問題にしない。単に概念の話だ。
 だが、それが可能だからと言って、生物の価値が貶められるわけではない。
 逆に神に創られただの何だのと持ち上げる方が失礼だ、と私は思うのだ。ブラックボックスはブラックボックスとして評価すれば良い。それ以上の説明は不要だ。
 そう考える私にとって、著者の人間存在の特別性を強調する言い分は理解不能である。
重力に抗して立つということが認識力、独自性そしてある種の意志力といったものを与えるのである。この意志があって、直立姿勢がある。(p.419)

心理学者アーウィン・ストラウスは、「頭上に点を見る」姿勢をとったからこそ「銀河の流れに興味を抱き、無限と永遠を感じることになったのだ」と指摘する。(p.419)

 人間が特別じゃないと死ぬの? 人間もまた生物の一種であって、それ以上でも以下でもないだろうに。

 結局、私の生物感は本書を読んでも変化しなかった。
 私は体は部品の集合体だと思っている。だからそれらは基本的には置換可能であると考えている。それが技術的に可能かどうかは置いておく。
 そして部品たちが互いに関係を持って作り出すのが機能だと思っている。関係性から生まれるのが機能である以上、機能そのものは置換不可能である。ある機能が不能である場合には、その原因となっている部品を取り替えるなり正常化なりすることは出来ると考える。
 さらに、機能がそれぞれ集合し、作り上げた一個の個体が「私」だと私は規定している。機能が置換不可能である以上、その上位存在である「私」もまた置換不可能である。
 そもそも「私」とは遺伝子、つまりは肉体だけに規定された存在ではないと私は考える。母親の胎内にいた時点から、私は遺伝子と共に周囲の環境にもまた大きく影響を受けている。もしも私がもっと貧困な国に生まれれば、もしも私がもっと違う世代に生まれていれば、もしも私がもっと違う選択をしていれば、私は今の私とは違った存在になっていたことだろう。この「もしも」は数多存在している。つまりは「私」という存在は一期一会なのだ。だからと言って、必要以上に尊重する必要もない。ただそうだ、というだけだ。

 著者が主張するように「共感」の概念を足がかりに、機械論的生命観と効率主義に大部分の人が反旗を翻せば、遺伝子技術の需要が消滅し、市場が滅びることとなり、故にその分野に関する研究も研究費用が賄えなくなり下火になるだろう。
 だが「効率と力と支配を求めて知識を追求するあり方(p.417)」と「新しい生物学知識を人間の身体と地球上の生命のよりよい理解の手助けとして使うこと(p.417-418)」が著者が主張するように全く異なることだとは思えない。現在においても科学とは基本的には生命のよりよい理解のために行われているのだ、と考える私は綺麗に過ぎるのだろうか。


 何にせよ、変化とは生物の生存戦略である。それに失敗すれば、ただ滅びるだけだ。未来は不透明で、誰にも見通すことは出来ない。どの生物も日々、未来と戦っているのだ。
 さて、人間の未来は如何に?


関連記事:
『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』感想:★★★★★
反語、揶揄、皮肉:購入履歴・新本編17
『女の皮膚の下―十八世紀のある医師とその患者たち』感想:★★★★★
『ロウソクの科学』感想:★☆☆☆☆






 無駄に長い感想文になってしまった。読み終わるまでにかかった時間も長かったけれど。
 久しぶりに残りのページ数を延々とカウントダウンするという不幸な読書をしてしまった……。


Theme:読んだ本の紹介 | Genre:本・雑誌 |
Category:星2つ:★★☆☆☆ | Comment(0) | Trackback(0) | top↑ |
<<一般向け科学書の個人的オススメまとめ | ホーム | 違いが良く分からない:購入履歴・新本編24>>
name
title
mail
url

[ ]
Trackback URL
http://kkkate.blog.fc2.com/tb.php/148-b0c94024