RSS|archives|admin


<<Amazonさんからのお手紙に恐怖する:購入履歴・新本編1 | ホーム | 『東欧怪談集』感想:★★★★★>>

『現代東欧幻想小説』感想:★★★★★

2011.06.20 Mon

現代東欧幻想小説 (1971年)
現代東欧幻想小説 (1971年)徳永 康元

白水社 1971
売り上げランキング : 51632


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 河出文庫の『東欧怪談集』(記事はこちら→「『東欧怪談集』感想:★★★★★」)の次は、『現代東欧幻想小説』で。
 本書には編訳者として吉上昭三、直野敦、栗原成郎、田中一生、千野栄一、徳永康元の6人の名前が記載されているが、「あとがき」も書いておられることから、吉野昭三氏を責任編者と見なすこととし、当ブログのカテゴリー分けに使用した。


 収録作品は以下の25作品。
 一作家一作品だった『東欧怪談集』とは違い、同作家から複数の作品が掲載されている場合が多い。

・ポーランド 吉上昭三 訳
「抽斗のなか」 スワヴォーミル・ムロージェック
「旅の道すがら」 スワヴォーミル・ムロージェック
「蠅の独白」 スワヴォーミル・ムロージェック
「原始村の婚礼」 スワヴォーミル・ムロージェック
「小さな友」 スワヴォーミル・ムロージェック
「猫物語」 ヤロスワフ・イワシュキェーヴィッチ
「耳」 ヤン・ブジェフヴァ
「輪回し」 イェジー・フィツォフスキ
「バンベリ号上の出来事」 ヴィトルゴ・ゴンブローヴィッチ
・ルーマニア 直野敦 訳
「カリファールの水車小屋」 ガラ・ガラクティオン
「車が淵」 ガラ・ガラクティオン
「肖像画」 ヴラディミール・コリン
「ボート遊び」 ヴィンティラ・イヴァンチヤヌ
「仕事机に向かって」 ヴィンティラ・イヴァンチヤヌ
・ユーゴスラヴィア 栗原成郎・田中一生 訳
「象牙の女」 イヴォ・アンドリッチ 栗原成郎訳
「イェレーナ、陽炎の女」 イヴォ・アンドリッチ 田中一生訳
・チェコスロヴァキア 千野栄一 訳
「足跡」 カレル・チャペック
「エレジー」 カレル・チャペック
「飛ぶ夢」 イヴァン・ヴィスコチル
「快癒」 イヴァン・ヴィスコチル
「そうはいっても飛ぶのはやさしい」 イヴァン・ヴィスコチル
「アインシュタインの頭脳」 ヨゼフ・ネズヴァドバ
「妻」 ルドヴィーク・ヴァツリーク
「要塞」 アレクサンドル・クリメント
・ハンガリー 徳永康元 訳
「死神と医者」 ヘルタイ=イェネー


 以下は個人的感想。






 前半の作品はあまり好きではない。実は一度「バンベリ号上の出来事」で、この本をぶん投げていたりもする。
 「バンベリ号上の出来事」の最後の一文、外は内なるものをうつし出す鏡なのだから!(p.121)なんかは好きなんだけどなぁ。

 その後のガラ・ガラクティオンの2作品「カリファールの水車小屋」、「車が淵」は、全体的にドイツロマン派の香り。
 特別奇想天外な物語が展開されるわけではないが、ロマン派が好きな人は嵌まるだろう。
 
 次の「肖像画」から、個人的にぐぐっと面白くなる。
 肖像画もそうだけれど、絵や写真と言うのは不思議な存在だ。それは動き続ける世界の一瞬を切り取った、永遠なる静止画。動が静に化けた存在。しかもそこには描き手(もしくは撮影者)の意図が混入しているのだ。いやー、不気味。
 一昔前に心霊写真が流行ったが、その根底にあるのはこの手の不気味さなのかもしれない。
 この作品、途中まで恋愛モノだと思ってニヤニヤしながら読んでいたから、途中からの予想外の展開にビックリした。でも個人的には恋愛モノよりも、こっちの方が好きです。

 ヴィンティラ・イヴァンチヤヌの2作品は割愛。この作者は女性嫌いなのかな-、ってのが感想。

 「象牙の女」は河出文庫の『東欧怪談集』にも収録。翻訳も同じ栗原成郎。
 その後に収録されている同じ作者の「イェレーナ、陽炎の女」が凄く良い! ノーベル文学賞受賞者ってのにも納得。
 この物語には物語と呼べるような話の展開はない。語られるのは、主人公(=作者?)の極々普通の日常だ。
 ただ彼の生活には時折「彼女」が通り過ぎる。彼女には実像はない。ただの影であり、幻である。それでも主人公は、彼女の存在を認識しているのである。彼の前に彼女は猫のように風のように、きまぐれに一瞬姿を現しては消えていく。
 主人公はその存在を打ち消そうと努力してみたり、逆に彼女の実存を信じて一本の金髪に固執してみたりするのだが、それでも彼女は静かに、そして気まぐれに彼に寄り添い続ける。
あの人は存在しないのだろうか? では、わたしを醒まし、起こし、この窓まで連れ来たったものは何だったのだろう? つまるところわれわれは、何が存在し何が存在しないか全体まるごとわかっているのだろうか? (p.200)

 ……いやぁ、良いですね。本当に凄く好きな作品です。
 ただイヴォ・アンドリッチ、Amazonで検索してみたところ、『サラエボの鐘』、『ボスニア物語(東欧の文学)』『呪われた中庭』なんかがヒットしたけれど、どれもこれもヘヴィっぽいのがちょっと。もう少し気楽に読めるのないかなぁ。

 カレル・チャペックの「足跡」、「エレジー(足跡 Ⅱ)」も好み。
 河出文庫の『東欧怪談集』に同作者の「足あと」が収められているので、てっきり本書収録の「足跡」は同じ作品かと思った。が、読んでいくにつれて広がる差異に頭抱えて呻きそうになったので、確認してみた。
 『東欧怪談集』には巻末に「原著者、原題、制作発表年一覧」が用意されているので、そこを確認すると、こちらに収録されている「足あと」のオリジナル(原題は"Šlépěje")の制作発表年は1928年となっている。
 一方、『現代東欧幻想小説』には各収録作の末尾に原タイトルと発表年らしきものが記載されている(特に説明がないので断定出来ない)ので、それを見ると、こちらに収録されている「足跡」のオリジナル(原タイトルは"Šlepej")は1958年発表のようだ。
 つまり、ほぼ一緒のタイトルだが、たぶん違う作品。ふぅ、良かった。翻訳だけでここまで変わったらどうしようかと思った。
このようにどんなことだって可能なんです――この道の一歩を非常にはっきりと目の前にして、その次をたどれないのが恐るべきことです(p.214)
 
「わたしはあきらめませんよ」と雪だらけになった男が言った。――「もうなくなったし、二度とない足跡をか」とボウラは頭の中でそれを補足すると、ふたりの道は逆の方向へとわかれていった。 (p.214)

 話自体は宗教的と言うか、神学的と言うか、何と言うか。
 全てを理解できると信じるのは傲慢だと個人的には思いますが。けれども、現代科学が「人間に解けない問題などない」を信条にここまで来たのも周知の事実ですし。
 まぁ、物語でくらい、分からないことを許容しても良いんじゃないのかな。
 それとどうでも良いが、日本には「カレルチャペック紅茶店」なる紅茶のお店がある。オーナーがカレル・チャペックを好きなんだそうだ。「カレル・チャペック」でGoogle検索すると、作者本人よりもこの紅茶店の方が上位に来てビックリした。

 イヴァン・ヴィスコチルの「飛ぶ夢」は、凄い下らない上に、凄い意味が分からない。でも何故だか全てを許容出来てしまう。不思議。
 これは原語で読まないと理解出来ない部類の作品なんじゃないかと思うんだけど、よくこれ翻訳しようと思ったな。
 同じ作者の「快癒」はストレートな皮肉物語ですな。現在、放射性物質の恐怖を身近に感じている人が読むと、とてつもなく凹めそう。
 もう1作の「そうはいっても飛ぶのはやさしい」は、今でも定期的に放送されるテレビ番組「世にも奇妙な物語」にこんな話ありそう。
 舞台は人間が機械のように整然と統治されている未来。どこまでも広がる人工的な生活空間。けれどそこに疑問を覚えた主人公は……。何だか映画『マトリックス』っぽくもあるが、今となっては典型的すぎるってだけな気がする。
 なんだか貶してるみたいになってますが、典型的に過ぎるとしても、オチが読めたとしても、それでも読んでいて楽しかったですよ。それにコレ、1963年に発表された作品ですしね。
この世界、この世界がどこかで始まって、どこかで終わっているとの考えがレオポルトをぞっとさせた。そんなことはナンセンスだ。理性に反することだ。気違いざただ。(p.261)


 次の「アインシュタインの頭脳」もとても好き。「足跡」にせよ、これにせよ、この時代は科学や神について真摯に考えざるを得ないような時代だったのですかね。
 物語の舞台は未来。花形であるはずの技術分野に学生が集まらず、ゲーテについての講義などの文学・美術系に人気が集中するようになっていた。技術分野の大御所たちが頭を抱える中、主人公である「わたし」はこの問題を解決するべく、「生物的な頭脳」を組み立てることを決める。作為的に作られた存在でしかない「生物的な頭脳」は次第に自我を持ち始め、「わたし」にも影響を与えていくのだが……。
 読んでいる間に色々な作品が脳裏に浮かんでは消えた。花形であるはずの分野に人が集まらず、一般市民たちは懐古趣味に走っている、ってのは手塚治虫の『火の鳥』のどれかにそんな話があったなぁ、とか、複数の人間の脳みそを集めて1つの脳に仕立て上げるってのは確か『ブラッドジャケット』で初めて読んで驚愕したっけな、とか。
 「アインシュタインの頭脳」のオチはとても素敵。やや既視感はあるが今読んでもそのまま通用する、いや、今こそちゃんと読むべき作品かも、と思わせるってのは中々に難しいことですよ。
きっと最近では生きるための芸術をわたしたちはほんとうに無視していたのであろう。これは芸術であって、科学ではなく、最高の英知を要請するものなのである。(p.276)


 その後の「妻」は、正直意味が分からないのでスルー。

 さらにその後に収められているアレクサンドル・クリメントの「要塞」は、ハッピーエンドかと思いきや……な展開で、結構好み。ただ何故か途中でゴルゴ13が浮かんでしまい、ずっと居座ってくれた。あの超人なら、この主人公とは違う展開を引き寄せてくれるかな。そもそも、主人公サイドではなく、要塞サイドに居そうだけど。

 最後の「死者と医者」は死神ネタの1作。
 予想を裏切る展開をしておいて、最後に予想通りになる様になんだか和んだ。最後に読むには中々良い作品かと。


 以上、個人的感想でした。お気に入りはイヴォ・アンドリッチの「イェレーナ、陽炎の女」と、ヨゼフ・ネズヴァドバの「アインシュタインの頭脳」。この2作のおかげで、個人的評価は星5つとなりました。
 


 金曜日に『現代ロシア幻想小説』と『現代ドイツ幻想小説』を買った話をしたので、そのきっかけとなった『現代東欧幻想小説』の感想を今更ながらに書いてみた次第でした。
 予想外に長くなってしまったけれど、果たしてこの末尾まで読んでくれる奇特な人はいるのであろうか。
Theme:読書感想 | Genre:本・雑誌 |
Category:星5つ:★★★★★ | Comment(0) | Trackback(0) | top↑ |
<<Amazonさんからのお手紙に恐怖する:購入履歴・新本編1 | ホーム | 『東欧怪談集』感想:★★★★★>>
name
title
mail
url

[ ]
Trackback URL
http://kkkate.blog.fc2.com/tb.php/10-b176c7ad