『未来の回想』感想:★★★★★
2014.01.22 Wed
未来の回想 | ||||
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時間は誰にとっても均等に流れる……だがなんとか、誰かの名言らしきものを聞いたのは一体いつだったのだろう。
チックタック、チックタック、ただ只管に流れ行く時間は圧倒的な強者である。誰もが彼女に跪き、反逆は許されない。
だがそんな時間に勝負を挑む者がいた。マクシミリアン・シュテレル。本書の主人公だ。
子供に時計に、そして時間という概念に取り付かれた彼は、全てを時間に捧げる。
他のものを投げ打って研究に、との形容句はシュテレルには当て嵌まらない。彼には時間しかなかったのだから。
友人関係も人間性すらも持ち得ず、まっすぐに時間と取り組まんとするシュテレルではあったが、しかし、それを時代(それは時間の集合体だ)は許してはくれない。
シュテレルはドイツとの戦争に駆り出され、革命の波にぶつかり、彼の「時間切断機」の研究は前途を阻まれてしまう。それは征服されることを拒絶する時間からの抵抗であった。
ノートの一冊に、シュテレルはこう苦々しく記している――「今日二二歳になった。ぼくが呑気に瞑想している時間に、時間は時間をめぐる闘いにおいて時間を稼いでいる」。この数行後にはこう書かれている――「時間は過ぎ去るがゆえに常に勝つ。ぼくが時間から意味を奪うよりも早く、時間がぼくから生を奪ってしまうのが先か、それとも……」(p.25-26)
しかし、第三の可能性があります――私、マクシミリアン・シュテレルは拘束服からも拒絶される狂人であり、私によって語られたことはみな譫言で戯言だという仮説です。ひとつ、衷心からの助言をさせてください――この最後の仮説を採ったほうがよろしい。それが一番有益かつ堅固で、安全ですから。(p.119)
彼の一部に共鳴する人物はいても、彼そのものを理解し彼そのものと共鳴し得る人物は登場しない。
シュテレルにとっては、そんな人物の有無などどうでもいいことのはずなのに、読んでいる身にはなんとも切ない。
それはそこに作者クルジジャノフスキイの姿を見てしまったからだろう。彼はこの『未来の回想』を世に出すチャンスを見出せぬままこの世を去ったのだから。何の因果か、執筆から60年経って初めて、その原稿は引き出しから抜け出し日本語にまで成ったのだが。
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