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『スピリット』感想:★★★☆☆

2012.03.15 Thu


スピリット

ティオフィル ゴーチェ 沖積舎 1981-09
売り上げランキング : 998352
by ヨメレバ


 読んでいる間ずっと、川端康成の「片腕」が頭の隅でチラついて離れなかった。
 幻想的な雰囲気ながらやはり日本を感じさせる「片腕」と、フランスの華やかな社交界の一員を主人公とするゴーチェの「スピリット」のどこに共通項があるのかと考えてみたところ、辿り着いたのは、そのどちらもヒロインが一個の人間ではなく、主人公にとって理想の部分のみで構成された「女の一部」であるとの答えだった。しかもその部分は、主人公の好みに応じて純化されている。
 人間という存在が肉体と魂から成るのならば、魂だけの存在となった「スピリット」のヒロインもまた、「人間の一部」には違いない。
 後は作品の根底に流れる、生ける俗物に対する嫌悪か。けれどもゴーチェの「スピリット」は、川端の「片腕」ほど他者を排斥してはいないが。



 主人公ギ・ド・マリヴェールは領地とそこから上がる収入で悠々自適な暮らしを送る貴族身分である。
 二十九歳の彼は美しく、社交界でも一角の人間として認められてはいるが、そろそろ身を落着けてしかるべき年頃であった。が、彼にはその気は全くない。
 それなのに世間は、ギは美しい未亡人ダンベルクール夫人と近く結婚するのだろうと決め付けてしまっていた。当の夫人もすっかりその心つもりだ。彼は彼女に対して何の約束もしてはいないのに。
 その勘違いはギが足しげく夫人の邸を訪れることから生まれていた。ギとしてはただ、夫人の催すサロンが不愉快ではなかったこと、また欠席すると夫人から心の篭った誘いの手紙が届くことなどから、何の下心もなく通っていたのだが。

 部屋着のギが自室で寛いでいたその夜もまた、ダンベルクール夫人の茶会に出席する予定になっていた。けれども部屋はとても暖かで心地良く、寒風吹きすさぶ外になど出て行く気にはなれない。
 ギは夫人に宛てて欠席の手紙を書こうと決意し、ペンを握ったものの全く持って言葉が出てこない。ギはこの手の儀礼のみの手紙を書くのが嫌いであった。
 ただ漫然とペンを握ったままのギの手が動いた。それも本人の意思を伴わずに。すらすらと書き上げられた手紙を見たギは驚く。
 彼本来の筆跡とは奇妙に異なった文字が綴っていたのは、ダンベルクール夫人に対するギの無関心であった。それは社交界に馴染んだ彼には伝えることの出来ぬ、けれども紛れもない本心でもあった。
 ギは礼儀に適わぬその手紙を破棄し、代わりにダンベルクール夫人の茶会に出席するために立ち上がった。部屋を出て行く際に彼の耳に届いたのは、「行かないで」と言いたげな謎めいた溜息。
 その微かな、同時に酷く魅力的な溜息にギは振り返る。だがそこには当然、誰もいはしない。
 この日の異様な出来事をきっかけとして、ギは人間とは異なる世界に住まう精霊、スピリット、が寄せる彼への愛情を知ることとなる。



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Theme:読んだ本の紹介 | Genre:本・雑誌 |
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『遊女クラリモンドの恋―フランス・愛の短編集』感想:★★★★☆

2011.11.11 Fri

遊女クラリモンドの恋―フランス・愛の短編集 (旺文社文庫)

野内 良三 旺文社 1986-05
売り上げランキング : 1151678
by ヨメレバ


 Amazonに表紙イメージがなくて残念。
 『遊女クラリモンドの恋―フランス・愛の短編集』のサブタイトルにある通り、「愛」をテーマにした短篇をフランス作家から1作ずつ計6作収録。収録作品は以下。
・「旅路」 モーパッサン
・「愛の波紋」 モーリヤック
・「遊女クラリモンドの恋」 ゴーチエ
・「サラジーヌ」 バルザック
・「死後の婚約」 アポリネール
・「女の復讐」 バルベー・ドールヴィイ

 あとがきによると、読者の小説離れを嘆いた野内良三が、小説の持つ物語性(筋の面白さ)を読者に思い出してもらおうと、小説の全盛時代である十九世紀から二十世紀初めの作品を選んだのだそうだ。
 翻訳者でもある野内良三は同じあとがき内で、「小説はノンフィクションやエッセーに押しまくられ、その後塵を拝している(p.237)」とも言っており、かなり驚いた。
 エッセーやノンフィクションに居場所を奪われつつある小説、との構図は私には見覚えがないのだが、なにせこのあとがきが書かれたのは1986年である。そんなこともあったのかな?

 編訳者の主張の通り、本書に収められた作品たちはどれも面白い。その感想は以下、折りたたみ先で。




Theme:読書感想 | Genre:本・雑誌 |
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『修道士と絞刑人の娘』感想:★★★★☆

2011.08.13 Sat
修道士と絞刑人の娘 (1980年)
修道士と絞刑人の娘 (1980年)アンブローズ・ビアス 倉本 護

創土社 1980-04
売り上げランキング : 1351429


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 函帯の背には「恐るべき誤解」との文字が白く印刷されている。誤解。
 私たち生き物は誰しも己の感覚器官で外界を認識し、それにバイアスをかけて脳内に再構成した世界の中に生きている。「私」という生身が生きるのは実世界であるが、「私」という認識主体が生きるのは脳内に再構成された個人的な世界なのである。
 外界を認識するための器官は生物によって精度も強度も違うのだから、私が認識する世界と私の飼い猫が認識する世界は違う。そして人間同士であっても感覚器官の違い、受け取ったデータをどう扱うかの違いによって私と貴方の見ている世界は異なる。同じ映画を見ていても記憶に残るシーンが違うように、日々暮らす毎日もまた個人によって認識を異にしてるのである。
 人間は誰だって現象を「正しく」認識することなど出来はしないのだ。認識の過程には必ず思い込みやら偏見やらが入り込む。そしてその思い込みや偏見には個人差があり、故に脳内に再構成される現実もまた異なる。
 けれど普段はそんな差異に気が付かない。私が認識しているように相手も認識しているのだと無邪気に信じている。それは当然だ。いちいち差異を気にして生きるだなんて面倒で仕方が無いし、みんなが同じだと考えた方が安心感がある。

 だがそれでも、その無邪気さが破られる時がある。それは意見の対立が起こったときである。相手の言い分がこちらと噛み合わない。どうしてだろう、と原因を探ればだいたいの場合において、認識のズレが発覚するのである。
 「言ってくれなくては分からない」との言葉があるが、その言葉が発せられる時、相手は「言わなくても分かると思っていた」と応じることが多い。
 私と貴方の見ている世界は違う。そしてその差異は問題が発覚するまで認識されることは少ない。私が考えているように相手も考えているのだと思い込むから、相手の行動に「信じられない貴方がそんな人間だったなんて」と罵る事態にもなる。相手は相手で善意で動いているのかもしれないのに。
 思い込みと誤解、本書のテーマはその一言に尽きる。


 物語は主人公である修道士アンブロシウスの一人称の日記の形で綴られる。
 アンブロシウスは、修道院長の命を受け、同僚二人と共にザルツブルク近郊のベルヒテスガーデンにある修道院へと派遣されることとなる。
 その途中でアンブロシウスは絞首台にぶら下がる罪人の屍体と、そしてそれに集る鳥を追い払おうとする美しい少女と出会うこととなる。少女の名はベネディクタ。福者の列に加わった、との意味。絞首台の下で平然と屍体を見上げる彼女は、絞刑人の娘なのでありました。



Theme:読書感想 | Genre:本・雑誌 |
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